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監訳者まえがき「世界の一流有名人がホメオパシーを選ぶ理由」 由井寅子

    本書は、由井会長が日本語版の監修を行っており、まえがきにて、今回のマスコミ報道を意識した緊急メッセージを発しています。ぜひ、ご一読下さい。

    監修者まえがき

    後世に名を残す偉業を成し遂げた著名人のなかに、ホメオパシー(同種療法)の考え方に共感や興味を示していた人物がこれほど多くいた事実を知ることは、ホメオパシーの普及を願う者として誇らしく、またそのための活動に邁進するものとして改めて勇気を与えられます。しかし同時に本書には、すでにホメオパシーをよく知って利用している方々がその価値を再認識するためだけの「内向き」の本にとどまってほしくないとも考えています。ホメオパシーのことをまったく知らない、あるいはホメオパシーに効果があるとは信じられないという方々に、ぜひ本書を手に取っていただきたいのです。パラパラとページをめくっていただければ、馴染み深い人名がいくつも目に飛び込んでくることでしょう。本書を通じて広い角度からホメオパシーに触れ、心の片隅にでもホメオパシーへの関心が芽生え、そしていざというときにホメオパシーという選択肢を検討するきっかけとしていただければ、これにまさる喜びはありません。

    日本では浸透が比較的遅かったことや、耳慣れないカタカナの用語のせいもあってでしょう、ホメオパシーはとかく目新しい療法という印象をもたれがちです。しかしハーネマンが類似の原則の医療への応用可能性に着目してホメオパシーという体系を構築したのが一八〇〇年代の初頭ですから、ホメオパシーにはすでに約二〇〇年の歴史があります。その後、一九世紀の欧米でホメオパシー療法が大きく開花し、現在までにどのような反動の荒波を乗り越えてきたかは、本書に記されている通りです。多少なりともホメオパシーの知識がある人であれば、どこかで耳にした断片的な情報も含まれていることと思いますが、このような切り口から膨大な情報を収集して本書をまとめ上げた著者ウルマン氏のご尽力には、心より敬意を表します。

    本書では、文化人、スポーツ選手、財界人、政治家、宗教家など、各時代をリードしてきた人物とホメオパシーとの接点が紹介されています。彼らは医療の専門家ではないかもしれません。しかし彼らは、ひとつの道を極めた人物、多くの人を引きつけた人物、あるいは生涯をかけて真実を追い求めた人物たちです。ただ、名前はよく知られていても、彼らの生活者としての側面にスポットライトが当たることは案外少ないものです。ウルマン氏も述べているように、音楽も、科学も、自然も、医術も、「高い次元では相互に結びついている」とするなら、さまざまな分野で既存の枠組みに捕らわれず時代を形成した人物の共通項としてホメオパシーが浮かび上がることは、それだけでも注目に値することです。

    さて、わが国でも明治時代以降、ホメオパシーの情報が徐々に入ってくるようになりました。しかしごく最近まで、使用者は海外からの情報ルートをもつごく一部の人に限られていたのが実情です。ただ、本書にも紹介されている医学の父ヒポクラテスの格言や、聖書の物語などにホメオパシーの原理が読み取れるのと同じように、日本の伝統的な民間医療のなかにも、自然治癒力を誘発するホメオパシーの発想が受け継がれてきたことが、文献の研究から近年明らかになってきています。日本最古の書物『古事記』にもホメオパシー的な考え方が紹介されていて、同種療法の思想は日本にも古来より息づいてきたことがわかります。

    そして近年、特に一九九〇年代以降の日本におけるホメオパシー普及の勢いは目覚ましく、世界のホメオパシー界からも熱い視線が注がれているほどです。安価で良質なレメディーの供給体制が整うにつれ、日々寄せられる体験談の数は増え続け、ホメオパシーのない生活は考えられないという人が確実に増えつつあります。その急速な普及ぶりは、ホメオパシーの歴史にまた新たな一ページが刻まれつつあるといっても過言ではなく、その輪は当然、文化人やスポーツ選手のあいだにも着実に広がっています。そうした方々の実体験をまとめた本書の国内版が世に出る日も遠くないかもしれません。

    ホメオパシーを語ろうとすると、常に入口の議論が重要になります。なぜなら、ホメオパシーのメカニズムを理解することは、そもそも病気とは何か、健康とは何か、癒しとは何か、という議論と表裏一体だからです。本書が人物の各論に入る前に、概論にかなりの紙幅を割いているのもこのためです。「症状=病気」ではないことに気づくことがホメオパシーの理解の最初の一歩です。ホメオパシーの目的は症状を抑圧することではなく、本来の治癒力を呼び覚ますことにあります。

    自然治癒力を高める手だてとして、ホメオパシーではレメディーを使いますが、ホメオパシーのレメディーと一般の医薬品を隔てる最大かつ根本的な違いは物質の量にあります。化学薬品であれ、天然の薬物(生薬)であれ、また内服薬であれ、外用薬であれ、これまで医薬品は物質ベースで論じるのが大方の「常識」でした。一方、ホメオパシーでは、薬効物質の原子や分子がゼロ、あるいは天文学的な倍率にまで薄められています。ところが不思議なことに、希釈と震盪を繰り返した物質を摂取することで、驚くような治癒効果が得られたことを示す症例が積み上げられているのです。

    ホメオパシーを説明するのに「毒をもって毒を制す」という表現が使われることがあります。これは「同種」に基礎を置く療法であるという側面では当たっているかもしれませんが、物質的な側面では当たっていないことがおわかりいただけるでしょう。物質としての毒物は事実上摂取していませんから、からだには負担がかかりません。したがってホメオパシーはきわめて安全性の高い療法なのです。レメディーを摂取することで体内に取り入れているのは、おそらくその物質の情報です。原材料の原子や分子がゼロになったとしても、それが存在していたことを示す痕跡は何らかの形でアルコール水溶液に保存されており、それを私たちの生体が認識することができると推測します。そしてその人のなかに類似のパターンが存在すれば共鳴反応が起きて治癒力が活性化されますが、存在しなければレメディーはからだを通り抜けるだけです。一般的に出回っているホメオパシーのレメディーは砂糖粒の形態が主流ですが、砂糖粒は転写媒体にすぎません。

    いずれにせよ、ホメオパシーと物質ベースの医薬品とでは、作用のしかたがいかに異なるかが、ご想像いただけるのではないでしょうか。現代医学の発想の枠組みから理解しようとする限り、混乱や誤解を招きやすいのも無理からぬことです。著者は冒頭で天動説を唱えたガリレオを引き合いに出しています。いまとなっては周知の事実でも、当初は突拍子もない考えだと馬鹿にされたり異端視されたりした事例は、過去にいくらでもあります。しかし信じられないといってホメオパシーを切り捨ててしまうには、有力なデータや体験談が多すぎるといっているのが本書であり、またわたしたちの活動を通じた実感でもあるのです。

    実体験には、机上の知識がとうてい太刀打ちできない力をもっています。一九世紀のアメリカでホメオパシーが草の根的に広がった背景には、ホメオパシーで家族の体調が劇的に改善した体験をきっかけに多くの母親がホメオパシーを真剣に学ぶようになったという事情があったことが紹介されていますが、同じことが現在の日本でも起きています。しかも、人はホメオパシーの真価に触れたとき、健康観、医療観のみならず、自然観、人生観などの変容を経験することが少なくありません。本書で紹介されている人物の多くが、ホメオパシーを単なる一療法としてではなく、みずからのライフスタイルと重ねあわせて熱く語っているのも、そこに理由の一端があるのでしょう。ホメオパシーの歴史は、時を越え、国境を越え、文化を越え、宗教を越えて、ホメオパシーの効果に感銘を受けた有名無名の人々の歴史でもあります。

    本書ではまた、異なる医療のあいだの対立や足の引っぱり合いの歴史も浮き彫りにされています。科学や医学は発展途上です。当然ながらホメオパシーも発展途上にあります。それぞれの療法の有用性を高めてゆくことに力が注がれ、人々の心身の健康を願う純粋な思いを原動力に、それぞれの得手不得手を踏まえた役割分担というスマートな観点から、垣根を越えた協力関係が進むことを心から願っています。

    2010年8月19日

    Ph.D.Hom 由井寅子