■福島県福島市 会員からのお返事

地震から1週間が経過しました。東北の海沿いは、いまだ行方不明者の捜索も困難な状況です。
しかし、被災しても「私には家がある。家族が居る」と、県民が自宅にある物を持ち寄り、急場を凌いで居ます。ようやく、他県からの物資も届き始めました。
富岡町の住民は、川内村に非難し、川内村の唯一の病院が診療にあたったため、医療材料も使い切ったそうです。
その川内村も避難指示が出て、郡山市へと非難を余儀なくされました。
避難所には、すぐに医師や看護師がボランティアで集まる訳でなく、不安や不調を訴え、病院に行こうとしますが、病院も軽傷者の受け入れは困難なのが今の状況です。
また、病院では、看護師が通勤用のガソリンを入れることも出来ず、病院に泊まりこんだり、乗り合わせたりしてなんとか通勤しています。

毎日のように余震は続き、感覚が麻痺してしまった人、恐怖や不安にかられる人、もう私たちは体感で震度がどれくらいかわかります。
今朝の通勤のバスの中で、産科に通院する妊婦さんを見かけました。
もう産み月のようで、歩く様子もどこか疲れてみえました。このような中ですが、着実に育つ命の輝きを感じました。

内陸部は、食料もなんとか流通し始めたので、買えるようになってきました。ただ、屋内退避の指示がいつ出るかもわからない状況に、自宅に備蓄もしています。

県内でも、海沿いに行くに従い状況が悪化してきます。
電気が回復しておらず、情報もなく、不安な気持ちで生活している人も、未だに多いと聞きました。
特に半径30キロの境目の方は、本当にここに居てよいのか?と考えるようです。
しかし、ガソリンも無いため動くことが出来ません。この地域は、人も物も一番必要なんです。
生活している人が居るんです。物資が無いため、南相馬市は非難を余儀なくされました。

私が知る県内の様子をお伝えし、皆さんの考える参考にしてもらいたいと思いました。