ホメオパシーのマテリアメディカについて

-日本における現状-  

⇒「日本でのホメオパシーの歴史」が
世界最大のホメオパシーポータルサイト(www.hpathy.com)に紹介されました。


日本では、もともと、自然治癒力を触発するホメオパシー(同種療法)の発想は、日本の伝統的民間医療の中で受けつがれてきたことが、最近の研究で明らかになってきています。明治時代では、森鴎外の『カズイスチカ』(1911、明治44)に、鴎外の父をモデルとしたと言われていますが、主人公の父が行っている医学として一部紹介されている程度にとどまっています。

昭和初期は米国でホメオパシーが隆盛であったことから、日本にも昭和8年アメリカのボエリック・タフエル社製のホメオパシー薬剤を輸入販売する会社「福音公司」があり、その東京支店が目黒区にあり、その会社からホメオパシー薬剤と称する同種療法の本が出版されています。また、昭和初期には香川県の丸亀にホメオパシーを作る工場がつくられ(その後閉鎖)、当時の首相「鈴木實(すずきまこと)」は、ホメオパシーを「良薬に国境なし(良薬無国境)」と紹介しています。第二次大戦後は、エリザベス女王来日の際など、一部ホメオパシーが注目されることはありましたが、ホメオパシー海外からの帰国者や研究者の間で、ホメオパシーが紹介された程度で、ほんの10年前までは、日本でのホメオパシーの普及はほとんど進まなかったという状況でありました。

日本人では初めて英国ホメオパシー医学協会(HMA)の認定ホメオパス試験に合格し、英国でホメオパシーとして開業していた、現JPHMA会長の由井寅子が、帰国し、日本で、専門家育成の教育機関であるロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシーを1997年に立ち上げ、翌98年に学術・職業・普及団体としての日本ホメオパシー医学協会を立ち上げ、ホメオパシーのユーザー会としてホメオパシーとらのこ会も同年スタートして以降、日本でも、ホメオパシーが急速に浸透していくこととなります。

2008年6月現在、JPHMAに登録する認定ホメオパスが360名を超え、全国でホメオパシー健康相談を受けられるセンターも、約180ヶ所となりました。また地域で、家庭で、健康のセルフケアにホメオパシーを取り組まれる方も増え、ホメオパシーとらのこ会に登録され、ホメオパシーを活用されている会員の数も2万人を超えるようになりました。また、100冊を超えるホメオパシー関連の書籍が既に翻訳、出版されており、毎日のように、各地でセミナーや講習会が開かれており、日本でもホメオパシーは、身近な存在になりつつあります。