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Interhomeopathy(インターホメオパシー) 10月、11月号に「the miracle in Japanese homeopathy」 というタイトルでJPHMA由井会長の記事 が紹介されました。

InterhomeopathyはJanScholten(オランダ人ホメオパス)、Louis Klein(カナダ人ホメオパス)、とUlrich Welte(ドイツ人ホメオパス)の3名が設立、世界各国のホメオパシー関係者が投稿するジャーナルとして知られ、フランス語にも訳されています。


■ Interhomeopathy10月号掲載内容はこちら

■ Interhomeopathy11月号掲載内容はこちら

※日本語訳Word資料はこちら

【10月号】
http://www.interhomeopathy.org/torako-yui-the-miracle-in-japanese-homeopathy

由井 寅子:日本ホメオパシーの奇跡

つい15年前まで全くといってよいほどホメオパシーが入っていなかった極東の国「日本」において、わずか10数年間で状況は一変した。今や500人以上のプロのホメオパスが全国250を超えるセンターで活躍し、推定で数十万人がホメオパシーを活用するに至っている。
ICHの第1回総会では、インナーチャイルドや発達障害といった現代病へのホメオパシーの応用、ホメオパス教育、セルフケア普及など、日本のホメオパシーの近年の発展を称して、「日本ホメオパシーのミラクル」と賞賛されたが、このミラクルは、由井寅子女史の活躍なくしてはあり得ない。彼女は、英国のホメオパシーのカレッジで大学院まで5年間学び、1994年に日本人としてはじめての英国HMA認定ホメオパスとなり、その後、日本への本格的なホメオパシーの導入をはかったが、彼女は、諸々の苦難を乗り越え、文字通り人生をかけてホメオパシーの普及に尽力してきた。そして今も尽力し続けている。

【氏とホメオパシーの出会い −本人コメントより引用−】

私は33歳の時に潰瘍性大腸炎という病気を患い、それから三年間、下血はひどいときで一日15回ほどありました。腸壁が破れ、血が吹き出るのです。外出してもすぐにトイレに行きたくなり、下血と便が混ざって出てきます。腸壁の潰瘍ですから常にお腹に疝痛があり、とても苦しいものでした。
二年間はいろいろな治療を受けました。ステロイドもとりましたが、一時しのぎにしかなりませんでした。すごいプレッシャー下にいると、あっという間に潰瘍が広がり、血が吹き出るのです。そもそも私が難病の潰瘍性大腸炎を患ったのは、仕事上、徹夜も多く、体のことをかえりみずに働いてしまったためで、そんななかで潰瘍性大腸炎を発症しました。

私が、ホメオパシーと出会ったのは、潰瘍性大腸炎を患い2年目の年でした。その頃の私は、どうしても治らない病気のために、心はすっかり暗くなり、陰鬱な日々を送っていて、人生に対して大変ネガティブになっていました。なぜ私だけが病気になるのか、なぜ私だけが苦しむのか、人生は不公平であり、私の人生は何と苦難ばかりであったかと哀れんでいるときでした。今思えば、こんな考えでは治るはずもなく、病気はドンドンひどくなる一方でした。医師からは、トランキライザー、抗不安定剤、下痢止め、鉄剤、抗生物質などいろいろと処方してもらいましたが、最終的に何も効かなくなりました。

いよいよ、潰瘍の腸を切って、人工肛門をつけるしかないというときに、夢で「同種のホメオパシー治療がいい」と教えられました。翌朝起きたときには、ホメオパシーという言葉はすっかり忘れていて、同種しか覚えていません。この同種の言葉を手がかりに、イギリス人の同僚に電話で聞いてみました。そしたらその同僚から「ああ、それは、きっとホメオパシーのことよ」と教えられ、「ああ、そうだった、ホメオパシーだ!」と思い出しました。私は夢のお告げなんて、信じるような人間ではありませんでしたが、このままの人生で終わりたくないという藁をもすがる気持ちから、何はともあれ、ホメオパシーにすがりついたのです。

ホメオパスのところへ行き、私に与えられた一時間、ありとあらゆることを聞かれました。一見、病気には関係ないようなことや恥ずかしくて言えないことも聞かれ、自分が丸裸にされたようでした。特に私の心の持ち方や、性癖、性格に対して突っ込んで聞いてくるので、これは、心理カウンセラーかと思ったくらいです。しかし月、太陽、天気の影響、食べ物の好み、恐怖感や夢、怒り、悲しみ、憎しみをどのように解決しているのかなどの質問には面食らいました。その上、出生体重や母乳を飲んだか、私の家族や先祖の人々の病歴なども聞かれ、答えることができませんでした。自分自身への問いかけの少なさや母親などから自分や家族のことを何も聞いていないことを痛感しました。

一体いつになったら、病気のことを聞いてくれるのかと待っていましたが、結局潰瘍性大腸炎の病状を話すことができたのは、たったの五分ほどでした。私が是非とも喋りたかったことは、病状のことだったのに、ホメオパスは、それはあまり重要なことではないという感じでした。約一時間の問診が終わり、ホメオパスから手渡されたものは、四粒の砂糖玉でした。しかも色も形も全く同じ砂糖の玉なのに、別々の名前がついていたのです。この先生(ホメオパス)は、白衣も着ておらず、聴診器を使うわけでなく、病気について聞くわけでもなく、渡されたものが砂糖玉四つですから「あーあ、また騙された。あの夢は嘘だったんだ」とがっかりしながら帰りました。

家に帰ってから、せっかくお金を払ったのだから四粒の砂糖玉を捨てるのももったいないと思い、期待しないまま指示通り、一日一粒、四日間のみました。そしたら五日目の朝に、どういうわけか、ベッドから立ち上がれません。腰が抜けたような感じで、二つ折れになったままなのです。節々が痛く、微熱もあります。トイレに這うようにして行き、またベッドに戻り、節々の痛さに耐えていました。あまりに痛いので、ホメオパスに電話し「助けて下さい。起き上がれなくて、体の節々が痛いのです」と言うと、彼は無下にも「そうですか、それは良かった。そのまま気を楽にして寝ていて下さい。ではお大事に」と言った切り電話を切られてしまいました。「何が良かっただ。ふざけるな!やっぱり偽のヤブ医者だ」と確信しました。行かなければ良かった、と後悔、でも既に遅しです。痛みはドンドンひどくなりました。しかし不思議なことに、この痛みがあるときは、下痢が起こりません。そして、この痛みは、26歳のときにかかったインフルエンザのときの痛みと全く同じものであることが自然と思い出されました。そう言えば、26才の頃、体調が悪かったのですが、仕事を休むことができなくて、抗生物質を打ちながら、やり抜いたことを思い出していました。そのときの症状が戻ってきたのです。翌日、痛みは少し減ってきたもののまだ腰が曲がったままです。熱と汗がたくさん出ました。三日目、ほとんど痛みは無く、体が軽くなっていました。血便が、いつものピンクの粘液便でなく、ドス黒いものに変わっていました。下痢は続いていましたが、何にも食べられなかったので、ただひたすらドス黒い血便のみが出続けていました。
それから一週間ほど経過した頃、腹が立って、腹が立って、何かにつけ、何かをぶち壊したいという思いがわき上がってきました。私が以前に抱いていた憤り、それらがドーッと押し寄せてきたのです。男社会であること、実力があってもコネがないとできないこと、貧乏人に対する社会の目、個性的な人に対する村八分的な態度、などなど、こういうことに対して、私はずっと戦ってきたのです。これは、相手は社会ですから、勝てるはずもありません。結局負け犬の遠吠えです。これらに負けるものか、と頑張ってきた私は、お金もできたし、ある程度の名声も得たのですが、健康な体はもうありませんでした。そう思うと、また腹が立っておさまりません。私は、母に認められなかったがために、上司に誉められると嬉しくて、体のことも考えずに頑張り続けてきたインナーチャイルドがいたのです。そして、今日まで、身を切る思いで働いてきたのに、それは他人の評価で生きてきたところがあり、その価値観が根底から崩れ去ったのです。

私が心にとらわれていて、体の変化に気づかなかったのですが、感情の吐き出しとともに、体はドンドン癒されていたのです。怒りが鎮まる頃に、何とも言えない悲しみ、生きることへの絶望的な悲しみが、私を襲いました。生きること、または生かされることへの悲しみと言っていいのでしょうか?肉体をもった人としてつらい人生を生きることへの苦しみです。もう大声で泣くのではなく、ひたすらさめざめと、シクシクと泣くのです。私の子どもの頃のトラウマで、置き去りにされているインナーチャイルドが泣いているようでした。泣いて、わめいてを一週間ほど続けた頃に、ふと血便が出ていないことに気が付きました。まだ柔らかかったものの、普通の便に戻っていました。

毎日、毎日、昔を思い、泣きはらしていたある日、外を見ると庭にはクロッカスやスイレン、ビクトリアプラムの花々がたくさん咲いていました。これらの花々に引き寄せられるように、まだ肌寒い春先に庭に出ていきました。自由にどこにでも歩いていける足もなく、つらくても弱音を吐ける口がない植物たちですが、一つの陰りもない美しい花を満開に咲かせ、自分の生命を生き抜いていました。それなのに足もあり、口もあり、植物より自由な私は、人生はつらい、お金がない、人が私を尊敬しない、などと不平や文句ばかりを言っていたことをつくづく思い知らされたのです。そして全ては、心の持ち方であり、心とは、苦難をつらいと思えばつらく、有り難いと思えば有り難いものに変化するのだということに気づいたのです。こうして私のこれまでの人生、インナーチャイルドに翻弄された人生に終止符が打たれました。物質的なものが、本当の意味で自分を潤わせ、平安をもたらすものではないということが、この病気で気づかせてもらったのです。
潰瘍性大腸炎は、一ヶ月足らずで完治しました。ホメオパスとの1ヶ月に1回のアポイントで、全てを話しました。彼は、全てを知っていたかのように、終始ニコニコ笑っているばかりいました。 私は、もうこの頃には性格が一変しており、あんなにキチキチしていた私が、だらしなく、あまり掃除もせず、自分の好きなことだけするようになってしまって、家の中がまるで泥棒が入ったようになっていました。完璧症だった私は、今までの人生ではじめての手抜きがはじまり、そうして何をしていたかというと庭の手入ればかりしていました。この庭いじりをすることで、私の心が楽になることを知ったからです。子どものころに帰ったかのように、朗らかになりました。そして、身も心も、すっかり楽になったころに、ホメオパシーを勉強したいという思いが沸き上がり、もう止めることができませんでした。
ホメオパシーの学校に入学手続きも済ませ、心も躍らんばかりに始めたホメオパシーの勉強でしたが、段々とつらいものになっていきました。それは、教科書が100年以上も前に書かれたものであり、しかもギリシャ語、ラテン語、万葉英語があり、英国人の人でも手を焼く言語の障害を日本人の私が越えることは本当に不可能のように思われました。最初は全くチンプンカンプンで、一年間は、学校へ行っては、わからず泣いてばかりの日々でした。大学側にスペシャルサポートをお願いしても、ほとんどが英国人の学生ばかりで、日本人でホメオパシーを勉強しているのは私だけということもあり、先生方もどのようにサポートしていいのかわからなかったのでしょう。全くサポートしてもらえませんでした。それで、やっぱり、私には無理な勉強だったのだ、という悲しい思いで過ごしていました。しかし、私のように苦しんでいた人がたくさんいるだろうし、何より、ホメオパシーが本当に素晴らしいことを心と体で体験したのだから、どうしてもホメオパシーを学んで日本の人々に伝えたいという自分の気持ちは偽ることはできませんでした。気を取り直し、サポートのありそうなホメオパシーの学校に捨て身で面接しに行きました。そのとき、当時のロバート学長から面接を受けたのですが、面白いことを言われました。彼は、私に会うなり「よく来たね。待っていたよ。しかし女だね。そして医者でもないなぁ。でもいいや。ホメオパシーは、極東には絶対必要だから、心して学んで、そして日本へ持って行きなさい!」と言われました。ロバート学長以下、素晴らしい先生方の全面的なサポートに恵まれ、そして敬虔なクリスチャンであるプライベート教師であり、私の親友であるホメオパスのメグ・ポートロのサポートにより、私は無事、三年間の勉強を終えホメオパシーの大学を卒業することができました。そして更に二年間の大学院へ進学しました。大学院では、アポロ計画に参加した天才科学者、ウィリアム・ネルソン博士に生理学・解剖学・病理学とホメオパシー版のエネルギー療法について徹底的に学びました。卒業後、英国政府が定める国家職業基準を遵守する、英国ホメオパシー医学協会(HMA)のホメオパス認定試験を受験し、合格し、晴れてHMA認定認定ホメオパスとなることができました。
私は、患者さんを通して自分を再度見つめ直しています。そして、患者さんによって、私も癒されています。ホメオパシーで病気を治してもらっただけでなく、ホメオパスというありがたい仕事まで頂き、心から感謝をしています。このホメオパシー療法をロバート学長と約束通り日本の地に根付かせて行くことが、私の天職だと思って止みません。

<現時点で寄せられているコメント>

1.素晴らしい話です。投稿をありがとうございます。
2.実に、ホメオパシーの真のスピリットを持った由井寅子氏のとても感動的な話。
3.経験は、その人物の探究心をより掻き立て、完璧に向かわせる。



【11月号】
http://www.interhomeopathy.org/torako-yui-the-miracle-in-action

由井 寅子:活動の奇跡

氏は、1998年11月国会議事堂内で国会議員の方々を前に、初のホメオパシーの講演を行う、日本政府へのアクションを開始しているが、ついにこの効果の芽が出始めている。

政府認識を申し入れる

日本では、2010年2月5日、政府が「統合医療」推進の国家プロジェクトを設置。 ホメオパシーを含めた統合医療について本格検討を開始。厚生労働省では、1月28日の参院予算委員会で、統合医療に関するプロジェクトチームを省内に設置する意向を示し、2月5日、ホメオパシーを含む代替療法の有効性確認、将来の資格制度化や健康保険適用など統合医療の今後の取り組み方を総合的に検討する「統合医療プロジェクトチーム(PT)」を発足するとともに同日初会合を開き、2月26日を期限に同プロジェクトで受け付けた要望書等によって、統合医療における調査を実施することとなった。
これを受けて、2月22日、女史はJPHMAを代表し、厚生労働省のプロジェクトチームへ270ページに及ぶ「ホメオパシーに関する提言と説明資料」を提出。その資料には、英国政府保健省運営グループの主要メンバーであるアサートン卿や、ホメオパシー国際評議会、欧州中央ホメオパシー協議会からの推薦文に加え、JPHMAと連携し、ホメオパシーに実際に取り組んでいる医師からの推薦文や、JPHMA学術大会抄録集なども添付されていた。
さらに、ホメオパシーの治癒症例集(発達障害など)や、一般向けのホメオパシー講演内容など、3時間を超える映像データも一緒に提出。この際、2010年2月20日現在までに回収されている約1万名の署名も厚労省に提示した。

3月19日には、氏は詳細を説明する為、厚生労働省会議室にてホメオパシーのプレセンテーションを行う。その時の報告は以下の通り。
ミーティング開始、由井会長は開口一番、以下の説明。
「私たちホメオパスは日本国民のためになりたいと思っております。特にものが言えない赤ちゃん、コミュニケーションが取とりにくい自閉症の方、学級内の問題行動児に対してホメオパシーは効果を発揮できます。また、日本は精神的な病気を抱えた人が多く、ホメオパシーは、この分野も得意とするものです。できましたらば、刑務所やホスピスにもホメオパスを入れていただけましたら、その方々の心のケア、体のケア共に、私たちは貢献させていただきます。」

このプレセンテーションでは、世界各国におけるホメオパシーの状況や資格について説明し、将来的には、日本でも海外のように国による資格化が必要になる点について訴えた。
資格化に向けた教育体制については、ホメオパシー国際評議会(ICH)の教育ガイドラインに準じ、さらに、インドのように国の認定する大学化を目指し、英国などの標準の2倍以上1700単位時間を超える専門学校並みの量を学ぶカレッジ・オブ・ホリスティック・ホメオパシー(CHhom)のカリキュラムを説明。現代医学とは異なる体系のホメオパシーを学ぶには、専門教育の充実が必要であり、また、現代医学との連携や、心と体の問題を扱う専門職であることから、現代医学の解剖・病理・生理学・心理学などもしっかり学ぶカリキュラムになっていることを伝えた。
またRAH、CHhomでは、医師資格を持つ者、持たない者も一から机を並べてホメオパシーを勉強しており、その知識とスキルを習得したものがホメオパスとして活動できるという国際的にも一般的となっている基準を説明している。

現在、日本には、多くのケント派といわれるクラシカルホメオパシーの人々が職業保険を持たずにホメオパシーを行っているが、由井氏は、日本でホメオパシーの公的資格化を進めるためには、ホメオパス達が一丸になる必要を強調。ホメオパスとしてのレベルの差を減らし、国内で唯一ホメオパシー職業保険を持つ日本ホメオパシー医学協会(JPHMA)の認定試験を活用する事を呼び掛けている。

また、氏は、ホメオパシー医学と現代医学はその長所とする分野を相互に活用し、短所となる分野を補い合って、協力して国民の健康に貢献していくべきであるという、従来からの考えを述べた。
氏は日本での統合医療の分野でのホメオパシーの発展のために、「医療従事者しかホメオパスとしてホメオパシー療法を行ってはならない」とするホメオパシー医学会(JPSH)と、「ホメオパシーを勉強し、そのレベルに達したものが認定され、医療従事者であるなしに関わらずホメオパシー療法を行える」という日本ホメオパシー医学協会(JPHMA)が同じテーブルにつき、どうすれば日本でホメオパシーが根づくことができるかを真剣に考えて、お互いが歩み寄り、力を合せて、ホメオパシーの発展のために努力する必要がある事。そして、一番大切なことは、どうすれば国民がホメオパシーの恩恵を受けることができるかという点であり、ホメオパス同士の軋轢にとらわれている場合ではないと述べた。

今後、日本でホメオパシーがしっかりと根付いていくために、科学的根拠、臨床的根拠とその結果に基づく臨床上の問題点を含めた事実による、正確で適切な情報を厚生労働省に持っていくことを約束して、当初1時間の予定で説明の予定が、出席する担当者も増え、日本のホメオパシーの現状報告は2時間を超えて終了した。

ドイツ小児シンポジウムの衝撃

2010年3月、ドイツ・バーデンヴァイラーの第2回ホメオパシー小児シンポジウムに集まった300名のホメオパシー関係者は、由井寅子女史の発表で、彼女がホメオパシー健康相談のDVD映像を使って多くの自閉症や多動性障害などの発達障害児たちが治っていく様子を説明している症例を、息をのんで見守っていた。
現代医学では難治とされ、ホメオパシーでも治癒が難しいとされ、最近、急増している自閉症、多動などの、発達障害の子どもたちが、みるみるうちに改善していく治癒例の映像に皆、驚きをもって接したのであった。これは最近欧州でも急増する発達障害のホメオパシー治癒の可能性に光を当てた歴史的な発表であり、また、予防接種やクスリ、食品添加物、環境汚染などにより、発達障害などの難治疾患が起こっているというホメオパシー臨床から導き出された結論にも皆、大きな衝撃を受けたのである。

また、ドイツ人のホメオパスの方が驚いたことは、1990年代にドイツでも始まった「ハーネマンの原点に戻ろう」というハーネマニアンの動きは別に、日本の由井寅子女史が独自にハーネマン回帰の重要性を見抜き活動していたことである。古典ドイツ語の専門家とチームを組み、ハーネマンの著作を原典から直接日本語に翻訳して行ったのである。こうして『オルガノン第6版』や、『慢性病第2版』、『純粋マテリアメディカ』を深く学び、『オルガノン第6版』の日本語版においては、各パラグラフの各文章がオルガノンの第1〜6の第何版で書かれたものであるかがわかるよう、文中に数字で示すことで、『オルガノン第6版』を立体的に読むことができるようになっている。実際のケースにおいても、ハーネマンの一番弟子であるボーニングハウゼンの作成した最も信頼性の高いレパートリー(TBR)を使用したホメオパシー診断が行われると同時に、ハーネマンのホメオパシー理論に基づいた『由井オリジナルの三次元処方』というものが慢性病における高い治癒成果を上げていたことであった。

「ホメオパシーはセルフケアや急性症状への対処でこそ、今世界中でブームの再来といった状況ではあるが、ハーネマンがホメオパシーで85%以上の治癒率を誇ったとも言われているホメオパシーの栄光は、現代病・奇病とも言われる精神疾患、発達障害、自己免疫疾患など様々な新しい病気の出現で治癒率の低下に多くのホメオパスたち悩んでおり、その輝きを弱めてしまっている。私は最初英国でクリニックを開業していたのですが、日本に戻ってきてぶつかった壁は欧州で通用したホメオパシーでは日本人には歯が立たなかったということです。たとえ症状が消え治ったように見えても、1〜2年たったら同じような病気になって戻ってくるということが続きました。そうやった中で、悪戦苦闘、様々な試行錯誤を行う中で、医原病に対するメソッドや、魂の病気であるインナーチャイルドにホメオパシーが有効だと臨床経験からわかってきたのです。実は、日本は、100年以上、国民に予防接種を義務接種として実践してきた国であり、特に、第二次世界大戦後、米国の占領政策のもと、現代医学至上主義となり、1人当たりでは欧州の何倍ものクスリを消費する世界で最もクスリを多く使う国民であったこと、そして、世界で使われる農薬の過半が日本でつかわれるほど、農薬漬けの食べ物を食べ続けてきた国民であったことなどもわかってきたのです。こういった医原病のフタがあったので、英国で学んで期きた従来のホメオパシーメソッドだけでは、多くの日本人を治癒に導くことが難しかったことがわかったのです。こういった中から、医原病のフタをとり、ホメオパシー的治癒に導く手法として3次元処方にたどりついたのです。」

魂や潜在意識の病気とも言われるインナーチャイルドから、現代病までを癒すことができる現代に通用するホメオパスを育成することを目的として、CHhomを開校した。
3年前には、ドイツ人のロジーナ・ゾンネンシュミット氏が由井学長が1997年に開校したRAHの教壇に立ち、そして、そのカリキュラム、全国7ケ所同時中継のインフラストラクチャーや、学生の熱意などにサプライズしたことを、独雑誌に寄稿しているが、さらにレベルアップした専門家教育スクールCHhomをなぜ、今開校するのかについても由井学長に聞いてみた。

ハーネマンの原点に戻る

「長いこと夢見ていた学校の設立が、やっと実現しました。ようやくハーネマンにお返しができると思います。イギリスでホメオパシーを学んでいた時にその書『オルガノン』に触れて以来、真のホメオパシー医学はハーネマンの著作の中にあると確信しました。最終的には『オルガノン』『慢性病論』『レスアライティング』を理論と実践を学ぶテキストとし、『純粋マテリア・メディカ』『慢性病』をマテリア・メディカのテキストとし、ボーニングハウゼンのレパートリー(TBR)をレパートリーのテキストとし、私がTBRからつくったマテリア・メディカをマテリア・メディカのサブテキストとするに至った。このように教育の中で私は一貫してハーネマンの復興を心がけてきました。「そして、ハーネマンの著作を研究するとわかるのですが、ハーネマンが本当に言いたかったのは、医療を行うだけでなく、人は本来どうあるべきかを患者に知らしめるようにということでした」。したがって、CHhomでは、ハーネマンの原点に戻り、治療の技術と併せて人間教育を行っていきたいと思うのです。

現代医学も取り込んだ最後の医療

ホメオパシーは症状を抑え込んで治療する対症療法と対称的に、症状を体からのメッセージととらえ、症状の奥にある病気を探り同種のレメディーによって治癒へと導く原因療法だ。1997年以来13年間にわたってホメオパス(同種療法士)の養成を行ってきた日本ホメオパシー財団認定のロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシー(RAH)では、英国の標準のカリキュラムを参考に教育をしてきたが、CHhomでは、現代人のこころの問題や直接的な肉体へのアプローチもできるようにホメオパシー・現代医学に加えインナーチャイルドの癒しやフラワーエッセンス療法、ハーブ療法、血液循環療法など代替医療をカリキュラムに組んでいる。さらに医学占星術、錬金術、スピリチュアル医学、神学もカリキュラムに組んでいる。これが真のホメオパシー統合医療だ。

実はCHhom構想にあたって、私が啓発された書物がある。それはルネサンス期のスイスの医師であり錬金術師であるパラケルススの著書『医師の迷宮』である。真の医術を知らない医師たちによって作られた学説を迷宮≠ニ断じ、知恵の根本を学ぶ学校の必要性を述べている。その学校では、創造主と神(第一の書物)の知識(神学)が教授されなければならず、マクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(人間=人体)の照応から、大宇宙を通して人間を理解するために、天空(第二の書物)の知識(天文学)が教授されなければならず、大世界と人間の照応から、大世界を通して人間を理解するために、被造物(自然)(第三の書物)の自然の光の知識(自然哲学=科学)が教授されなければならず、そして人間を自然の光へと誘う類似の法則のもと、人間(第四の書物)の知識が教授されなければならず、そのために、天空と自然物を解剖する魔術と錬金術の知識が教授されなければならない。 そのような学校を作りたいという思いが、CHhom設立につながったのである。真の医学はパラケルススにおいて完成しており、パラケルスス学説のエッセンスを要約した形でまとめられた『医師の迷宮』は、真の治療家を目指す者にとってのバイブルと言える。現在、薬草やハーブを栽培している財団認定のホメオパシー自然農場はパラケルススのいう自然の薬局≠ゥら構想されたものである。「治療家は野山の薬草や鉱物が発信していることに耳を傾けることが大事」とあり、ホメオパシーの同種療法で使われるレメディーは、それをエネルギーにしたものだと思います。CHhom開校のきっかけとなった『医師の迷宮』の日本語版を開校に合せ、このほどホメオパシー出版から発行したのである。

からだと魂を癒せるホメオパスの育成を

由井女史「ホメオパシーの先進国であるインドやドイツには、5年制のホメオパシー大学や教育機関がある。CHhomはそこまでいかなくとも、短大なみの1700単位時間の講義を設けている専門校で、将来的には学校法人認可も目指しています。コースは、4年制パートタイムコース(年間45日の通学と、Eラーニング、臨床ケース見学)と2年制インテンシブコース(毎週木曜〜日曜通学)の2つだ。
「まず実施したいのは、気づき≠フ授業。自分は何者であるのか、すべては気づき≠ゥらはじまります。自分とは自分の心を乱れさせる人や状況の中で見つけることができます。すなわち、何に囚われているか知ることが自分を知るということです。そして、本当の自分とはなにか、自然とはなにか、命とはなにか、命の根源とはなにかということに徐々に気づいていくでしょう。」「ホメオパスとは、命を預かる療法士。自分を見つめる作業なくしては、体と魂を癒すホメオパスにはなれないのです。療法の技術を身につけるとともに、患者に共感できるホメオパス、忍耐力があり、患者に受け入れる準備ができた時に的確な言葉をかけられる、言葉のレメディーが使えるホメオパスが育ってほしいですね」。

<現時点で寄せられているコメント>

1.この女性は、素晴らしい。西洋のホメオパシーが本当にここから学ぶ事のできる人物である。
2.これは、断然良い。ホメオパシーは、自己特有の世界に長く居すぎている。
3彼女の成功の奇跡は、私達のアプローチに何が欠けているかを指摘している。