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■エネルギーの塊の砂糖玉 が導くホメオパシーの不思議!
2000・12

いきなりやってきた寝たり起きたりの毎日
一度目の診断(七月十八日)で出されたレメディーは表Aの通りです。 予防接種や薬、歯の治療で使ったアマルガムの水銀など、たまった体毒を排出し、肝機能を回復する、毒で汚れてしまった血液をきれいにする、この二つが今回の治療の目的でした。由井先生は私の体がかなり疲れた状態にあることを指摘し、「この夏は仕事も休んだ方がいいかも知れませんよ」とおっしゃいました。それだけでなく、「レメディーを始めたら、かなり具合が悪くなって寝込んでしまうかも」とも付け加えたのです。 正直いって、そのときの私は自分が疲れているという自覚はなく、先生の言葉もあまりピンときてはいませんでした。

そんな状態で始まったホメオパシーの治療ですが、最初のレメディーを飲んだ夜、私は不思議な夢を見ました。銀色に光る長い注射針のようなものが私に刺さってとても痛いのです。 上腕がチクチクして、夢から覚めてもその痛みはなかなか消えませんでした。思わず自分でさすり続けたほど。とてもリアルな感覚でした。予防接種のレメディーだと説明を受けていたからでしょうか。そして、目が覚めて起き上がろうとした私は強烈なめまいに襲われます。頭を持ち上げようとするのですが、目の前がグルグル回ってしまいます。 無理に起き上がるとき聞が悪くなる始末。体がどうにもならず、そこから一週間、私はほとんど起き上がれませんでした。

ちょうど夏休みに入っていたので、買い物などは娘に頼んでいました。部屋のかなでも長くは起きていられないのです。猛烈な好転反応が起きていました。このままレメディーを続けて大丈夫なのだろうかと不安がよぎります。でも、診察のときに先生が「あなたは来るべきときに来たね。すごく変わるよ、よくなるよ」 と言ってくださった言葉が支えになりました。この後、自分にどんなことが起きてくるのかとことん味わってみよう。

その時の私は不安よりも好奇心のほうが勝っていたわけです。私は毎日、きちんきちんとレメディーを飲みつづけました。水銀に対応したレメディーが終わる頃に、体に赤い発疹が出始めました。これはとてもかゆいもの。不思議なことの発疹が出るのはみんな左側でした。あとから先生に聞いたところ、左は女性性でホルモンのバランスの乱れが表面 に現れてきたのだということでした。発疹はさまざまなところにあらわれ、そして消えていきました。それと共に、猛烈なだるさと微熱が続き、近くのスーパーにも買い物に行けない状態が続いていました。夏休みにどこかに出掛けようかと思いめぐらしていたのに、旅行などとんでもないという感じ。取材の仕事すら断るハメになってしまいました。先生がおっしゃった通 りの毎日になってしまったわけです。

役割を外しても充実した私でありたい仕事を休んだせいか、自宅にも携帯電話にもパッタリと連絡が入りません。体が不調だと知っている友人たちも連絡を控えているようでした。うだるような暑さが続くなかで、私はただ寝て起きてという毎日を過ごすしかありませんでした。話相手は娘だけ。その彼女が遊びに行くと、たった一人になります。 "寂しいなあ"ふっとそんな気分になりました。仕事をしてないと誰かとつながっている実感がない。何かしている充実感がない。自分の役割のなかで生きていないと、こんなに虚しい。私って一体何なのだろう、何がしたくて生きているんだろうか、寂しさや虚しさのかなでそんなことをずっと考えていました。 それと同時に、その役割を外しても充実した私でありたいと願うようになりました。

やがて、ベランダの小さな鉢がいとおしいと思うようになりました。ギラギラの太陽がエネルギッシュでした。あの暑さでも、木々から吹いてくる風は爽やかでした。ずっと身の回りにあったものが、違って見えてきました。どんなことも感謝したい気持ちになるのです。どこにも行かず、何もしなかった夏休み。だけど、一番娘と接した夏休みでもありました。一緒に話し、ゲームをし、そしてたまにケンカもし・・・。それだけで毎日が楽しかった。

海外旅行をしなくても、プールに行かなくても、レストランでごちそうを食べなくても、何もしなくても一緒にいればそれで楽しい・・・。ホメオパシーを受ける前は、海外のエネルギースポットに行ってもっと自分のエネルギーを動かしたいとか、いろいろなワークやセッションを受けてもっと成長したいと思っていました。もっともっともっと、そんな気持ちが強かったのです。 ホメオパシーもそんな期待から始めたものでした。 でも、"無理に成長したり、いろいろなものを欲しがったりしなくてもいいんだ、このままでも十分満たされているんだ"そんな当たり前のことがわかったのは最後のレメディーを飲み終わる頃でした。

二度目の診療後に出されたレメディーで感情を解放

二度目の診療(八月二十九日)では、頭を打った過去がクローズアップされました。そのとき、記憶にないけれど、母から私が交通 事故にあって何メートルも吹っ飛んだと聞いたことがありました。それを聞いて先生が処方してくれたのが梅毒マヤズムのレメディーでした。梅毒マヤズムの特徴は自己破壊とのこと。頭を打ちやすいのもそのためだそうです。さらに指摘されたのは血の汚れでした。次のレメディーは表Bのように出されました。 今回は、前回ほどのだるさはありませんでした。でも、レメディーを始めたとたん胸のまわりに赤い発疹がたくさん出ました。そして、それが出きったなと思う頃、過去の辛いことばかりが思い浮かんで、とにかく悲しくて仕方なくなってしまいました。一週間近く泣きっぱなし。それが終わったと思ったら、次は恐怖です。

たまたま参加したスウェットロッジという儀式で、私は呼吸できないという恐ろしさを体験しました。暗さも熱さも平気なはず。でも、テントのようなところに入って扉を閉めてしまうと自分を抑えられないほどの恐怖がわいてきて、儀式を最後までやり通 すことができませんでした。帰って床に就いてからも、その時のことを思い出すと恐怖で足が震えるくらい。 その日はそれがだんだん背中まで上がってきたのを感じて寝入りました。翌日、背中がかゆいと思ったら、一面 にやはり赤い発疹が出ていました。娘に数えてもらったら20もあるとか。不思議と発疹が出ると、怖い感情の方はおさまってきました。 過去にため込んでいた感情が次々と解放されているような気がしました。

この間、生理は10日ずつ早くやってきて、量もとても多かったのですが、生理前の肩こりや不眠はまったく消えていました。 体験で得たもの、それは、満たされているという思い最後の梅毒マヤズムのレメディーを飲んだとき、鳥取の西部地震が起きました。私の父が島根に住んでいるので、友人からも心配して電話が入ります。私はいてもたってもいられませんが、電話連絡はなかなかつきませんでした。翌日になってやっと父と連絡がつきました。

大きな被害でしたが、幸い父のところは特に何も無かったとのこと。父については、由井先生から二度同じアドバイスを受けていました。 「生きているうちに会ったほうがいいよ。あなたのためにいい」 でも、私の心の準備が出来ていませんでした。 ところが、天災が起きて一番に心配したのはやはり父のことだったのです。 父は私が連絡したことをとても喜んでくれているようでした。私の心のなかで、何かが溶けたような気がしました。 正直言ってまだ私の方から会いたいとまでは思えません。 でも、電話を通 して、何か父と通い合うものがあったと思います。

最後のレメディーを飲んだ夜のこと。 このレメディーの反応がすごくて、飲むと体の奥や外側がビリビリと振動します。自分のエネルギーが反応しているのを感じながらテレビを見ていたら、画面 に青空が映っていました。 その透けるような空はとても美しい。 そう思うか思わないうちに、体の奥から何かがわきあがってきて、突然涙があふれだしました。 「こんな美しいところに生まれて良かった」

二ヶ月を超えるホメオパシーの体験の締めくくりはこの感動で、そして、何もなくてもいい、このままで十分満たされているという思い。これがこの長いようで短かった体験で私が得たものでした。

旭享子

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