
ドイツの「nature heilen」に6ページにわたり
由井会長の日本での活動についてインタビュー記事が紹介されました。
下記は記事の和訳です。
日本はこうしてホメオパシーに行き着いた
日本人女性、由井寅子氏の勇敢な闘い
ホメオパシーこそわが人生。1996年にそれまで日本では知られていなかった治療法、ホメオパシーを紹介した由井寅子氏が語る。今日、日本では15万人がホメオパシーを利用している。
由井寅子氏は33歳の時に、重い腸炎を患うようになった。良くなろうと必死に模索するうち、最後にたどり着いたのはイギリスのホメオパスの所だった。ホメオパスが由井氏を治したのである。その後、由井氏は、ホメオパスになろう、この治療法を未だ知る人のほとんどいない日本で広めようと決心した。由井氏は日本でロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシーを設立し、開拓者として、600人の日本人ホメオパスを養成するという、これまでに比類ない実績を上げている。由井氏はまた1998年4月に日本ホメオパシー医学協会(JPHMA)の設立に着手。以来、この公益的な組織は国民の間で信頼を築くための中心的ホメオパシー専門機関として、ホメオパシーが確実に正しいあり方で広まっていくように働いている。由井寅子はなによりもまず治癒することに力を入れているホメオパスである。『予防接種トンデモ論(2011年にはナラヤナ出版よりドイツ語版刊行予定)』等の著書は、その豊富な臨床経験から生まれたものである。彼女事実に基づくホメオパシーの多くの治癒事例と由井氏のホメオパシーを中心にした生き方及び熱意は、多くの人々の共感を呼び、広く知られていった。そのようなことから、彼女がホメオパシーで日本人の心をとらえたのは不思議なことではなかった。由井氏は特に予防接種の害と自閉症の治療を得意としている。
バーデンヴァイラーで開催された第2回子供のためのホメオパシー学術会議に際して、ホメオパスであるハイディ・ブラント(Heidi Brand)が、この勇気ある日本人にインタビューした。このインタビューは、福島の放射能災害が起こる前に行われた。

初めてのホメオパシー体験は英国で
― 由井寅子さん、日本にホメオパシーを紹介して16年になるわけですが、まずどのようにして伝統的ホメオパシーと出会ったのですか?
由:私がホメオパシーを知ったのは英国でした。重症の腸炎を2年間患っていました。伝統医学も中医学も私の助けにはなりませんでした。そして最後にあるホメオパスのもとへ行ったのです。それまで聞いたこともなかったホメオパシーの助けを借りて、私の潰瘍性大腸炎が1か月のうちに治り、またどんどん気持ちも楽になっていったことで、私はこの治療法には何かすごいものがあるのでは、と思ったのです。ホメオパシーは私の腸を治癒してくれただけでなく、私の心も、そして私の体全体をも治してくれたのです。この時から私はホメオパシーに大いに興味を持ちました。それから私は英国のホメオパシーの学校で4年コースを修了し、その後さらに1年延長して勉強しました。ですから全部で5年間この治療法を学んだことになります。それ以来、ホメオパシーは私の人生そのものになりました。ホメオパシーを実践し始めて18年になりますが、ホメオパシーを手にしていなかった頃はどんなだったか、もうすっかり忘れてしまいました。
(日本におけるホメオパシーの開拓者、由井寅子)
― 日本でホメオパシーを広める動機は何だったのですか?決して簡単ことではなかったはずです。全く新しいシステム、新しい考え方、新しい処方の仕方、そして新しいケース分析方法を構築しなければならなかったわけですから。どのようにして仲間の意欲をかき立てたのですか?どうやって政治家を動かしたのですか?
由:確かに楽な道のりではありませんでした。闘いに闘いましたよ。でもまだ英国にいた時に、何人もの日本の友人達から手紙をもらったのです。日本に帰ってきて開業するべきだというのです。そして私はついに、日本へ戻ってそこで学校を、ロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシーを開くことに決めました。開校して15年になります。その間に日本では600人のホメオパスが活動するようになりました。
私の目標は、患者が重い病気とうまく付き合っていくことを学ぶこと、そして彼らが治っていくことです。重い病気を抱えた人々はより良質の生活を送れるようになるべきです。そして自分自身でいることができるようになるべきです。私はホメオパシーが彼らを手助けできると思うのです。健康的な生活の仕方がわからなくなっている日本人が大勢います。それは日本社会の中で多大なストレスを経験しているからです。社会も政府もですが、人々を圧力下に置き、そのため、具合が悪くなってもオープンに語ることがもはやできなくなっているのです。これは非常に不健全な生き方です。ホメオパシーのレメディーを彼らに与えて、私が最初に気づいたのは、彼らが再びオープンに話ができるようになったという点です。彼らに心の深い所で楽になってほしい、心から笑えるようになってほしい、でも怒れるようにもなってほしいのです。つまり、感情を表に出せるようになってほしいのです。そしてそれで良いのだと、自分にはそうする自由があるのだと、わかってほしいのです。それをホメオパシーで実現したいのです。だからこそ私はホメオパシーの学校も作りましたし、1日セミナーでは家庭用レメディーキットをどのように使うかを教えているのです。36種のレメディーについて学ぶセミナーです。既に15万ほどの人が家庭用レメディーキットを利用しています。ホメオパシーを知る人は日本でもどんどん増えており、認知度も高まっています。

日本には他のレメディーが必要な部分もある
― 政府を説得しなければなりませんでしたか?
由:はい。最後には政府はホメオパシーを代替医療専門家養成の枠内に組み込むことを決めました。しかしホメオパシーは自然療法の分野でも治療法として認知されています。もちろん、ホメオパシーが日本でさらに定着していくために、しなければならないことはまだあります。法律の改正も行われなければなりません。目下それを目指しているところです。
― あなたが処方するホメオパシー薬剤は、ヨーロッパで買えるのと同じものですか?それとも日本で直接製造されているのですか?ヨーロッパとは文化が異なることから、薬剤の選択基準も違っていますか?日本の人々は閉鎖的だとおっしゃっていましたね。
(Staph.は引っ込み思案で外からのあらゆる影響に対して過敏に反応する人に合います)
由:そうですね、日本人にはIgnatiaタイプやStaphysagriaタイプが多いです。これらのレメディーがよく日本の患者さん達の助けになっています。ノゾーズであるcarcinosinum.日本では同様に大いに役立っています。レメディーは英国から輸入していますが、私達の所で製造するレメディーも増えています。私達が使用するレメディーの30%を自分達で製造しています。あとの70%を英国から、そして一部はインドから輸入しています。
― ドイツで私達が全く知らないようなレメディーも使っていますか?根、全草、動物など、日本にしかないもの、そのため日本に住む人々の治療に重要なものはありますか?
由:多数の植物や動物など利用できます。これらをいわゆるホメオパシーのプルービングで検証します。私達はまたレメディーのための植物を何種類か、自分達で栽培しています。日本の土地、そしてそこに含まれているミネラルは、やはりヨーロッパのとは異なるからです。例えば日本で育つCalend.はヨーロッパのCalend.とは似ていません。それ以外は、基本的には、ホメオパスなら誰もがレメディー選択のために学ぶ、よく知られた一般的なホメオパシーのマテリア・メディカを利用しています。

日本の薬草医学はホメオパシーと似ている
― 日本の医師は、ホメオパシーにおいてはどのような教育を受けるのですか?
日本では、ホメオパシーを学ぶのに医師である必要はありません。学生の一部には獣医もいますし、また僧侶もいます ― またごく「普通の」職業に就いている人達もいます。ホメオパシーは4年コースで教えられています。つまり医師もゼロから始めなければならないのです。なぜなら、私達はレメディーの選択を、症状ではなく生命力に基づいて、そしてその生命力をどのホメオパシー・レメディーで強めることができるか、を基準に行うからです。これは大抵の医師にとっては理解するのが難しいものです。この教えには、一般人の方がずっと馴染みがあります。それは、日本では伝統的に民間療法の薬剤を用いるのですが、これがホメオパシーのような類似の法則に基づいているからです。唯一の違いはポーテンシー化と希釈ですね。この製造工程は日本の薬草医学には見られないものです。それから、スピリチュアルな傾向があり、生命力を信じている人が日本には多く、また自分を治せるのは自分なのであり、外から来た異物では治せないという考え方なのです。ヒポクラテスが言ったように、私達はみな自分の中に100人の医師を持っています。このように私達は、根本からホメオパシーに対して非常にオープンな見方をしているのです。
― 由井寅子さん、日本で素晴らしい成果を上げていらっしゃるのですね!大変な勇気がおありなのですね。ホメオパシーを日本にもたらしたこと、並大抵のことではないと思います。これは歴史的な出来事です。
由:第二次世界大戦後、私達は長期にわたって感情的に抑圧された時期を経験しました。パールハーバーに罪悪感を感じ、良心がとがめていました。多くの人が今日なお罪悪感を抱いています。しかしもう忘れましょう。私達はもう償ったのです。十分に償いました。広島、長崎、多くの人々が爆撃で命を落としました。もう終わりにしましょう。もう十分です。罪悪感を持つ必要はもうありません。私達に、日本で新たな道を歩み始めさせて下さい!日本は素晴らしい国なのですから。日出ずる国なのですから。私達はそれをまたぜひ実感したいのです。そしてホメオパシーでなら、それを実現することができるのです。
― 由井寅子さん、お話をありがとうございました!
日本人へのメッセージ
恐るべき地震と津波が日本を襲った後、由井寅子はこの大災害の被災者に向けてメッセージを発した:
マグニチュード9.0、震源の深さ24kmという海底地震が、2011年3月11日、日本の本州、東京の東北約400kmの海岸を激震させました。さらに広範囲にわたって多数の被災者が出て、日本の多くの地域が余震に揺さぶられました。
この恐ろしい大災害を経験することになってしまった被災者の方々に、心からお見舞いを申し上げます。この激しい津波が引き起こした最も重大な問題は、海岸の原子力発電所の件です。日本の海岸付近には異常なほど多くの原子力発電所があるのです ― 55基です。
この大災害で私は考えました:この災害が日本人の目を覚まさせるはずだと。つまり、原子力産業をやめるための運動に取り掛からなければならない、ということです。私達日本人は、原子力発電所はもう要らない、と言う勇気を持たなければなりません。そして、この運動を日本から全世界へ広がることを私は願っています。日本が原子力産業への抗議を始めたら、世界の他の国々もこの行動に賛同することが重要です。日本人が今しなければならないのは、原子力発電を他の種類のエネルギーに置き換えること、そして水力や風力等の天然資源を今までよりも一層利用することです。私達は緊急に、新たな発展を始めなければなりません。そして将来的には電気を自然の力で作り出せるようにならなければなりません。
私は、とりわけ日本がこの運動に着手しなければならないと感じています。 そして今からもう夢見ています ― この災禍と破壊のただ中で ―
日本から原子力発電所が一切なくなる日を。日本が既に広島と長崎で原爆を経験しているからには、日本人は誤解の余地のないほど明言しなければなりません。もうわが国には原子力発電所は要らない、なくしてほしいと。日本人がこの問題に立ち向かうべき時がまもなくきます:これほどの犠牲者が出て、またこのような放射線による人体への負担をもたらしたこの甚大な大災害の後で、もしも私達が行動を起こさなかったら、全世界における新たな原子力使用について、何も変えることができないでしょう。
これは、このような途方もない大災害に見舞われた日本の使命であると私は感じています。ですから私達日本人は屈することがあってはならないのです。私達はここまで高い代償を払わなければならなくなるまで、55基の原子力発電所から生じるおそれのある危険を認識していませんでした。だから私達は、毎日少しずつ賢くなっていくよう、これからも努力していかなければならないのです。
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