■スペイン風邪流行時の英国での対応 1918英国ホメオパシージャーナルより
■ホメオパシーは・・:脳腫瘍の新治療
■米国の代替医療支出でホメオパシーが1割に。
■新型インフルエンザ(豚インフル)への対応について
■ドイツ第2回小児ホメオパシーコングレスで由井会長の発表が決定
■国連・子どもの権利に関する委員会代替医療を受ける権利を 政府が妨害することの禁止を勧告(ICH報告)
■HMA認定試験2009年6月
■2009年春ホメオパス認定試験開催
■投票!スイス国民はホメオパシ-にYES!
■第10回学術大会お知らせ
■新型インフルエンザ(豚インフル)への対応について
■ICH第2回総会
■由井会長欧州レポート
■ICH第3回総会 国際ホメオパシーコンファレンス日本開催決定
■ロビン・マーフィー氏 再来日講演
■JPHMA更新 認定書授与セレモニーの様子
■第10回学術大会一般公開で開催のお知らせ
■WHAW「ホメオパシーでアレルギーを考える会」開催
■認定ホメオパス強化学習12/20〜の様子
■2010年WHAWのテーマ決定!
■学術誌に由井会長の発表が紹介されました。
HMA認定試験2008年度秋
■日本ホメオパシーセンターセントマーガレット記念講演会
■ソーセージなどシアン化合物汚染に関する健康被害について
■JPHMAホメオパス認定試験開催。2008年度秋
■世界のホメオパシー最新情報
■「日本でのホメオパシーの歴史」が世界最大のホメオパシーポータルサイトに紹介。
■八千代市セントマーガレット病院で由井会長 特別講演。
■アクションホメオパシー 署名のお願いについて
■認定ホメオパス強化学習8月17日(日)の様子
■癒しフェア2008 in Tokyo講演終了
■岩手地震/緊急対応のお知らせ 
■JPHMA設立10周年記念第9回年次学術大会のお知らせ
■WHAW「体の動かし方とホメオパシー」開催
■第2回ホメオパシー医学国際シンポジウム開催
■ホメオパシー災害対策セミナー開催
■由井会長講演新社会システム総合研究所セミナー
■第14回日本未病システム学会学術大会
■由井会長:
ICH総会
ECCH会長より
■由井学長:
Dubai国際学会
●研究発表

●授賞式
●最終日
●総集編
■デビッド・ニードルマン講義
■ホメオパシー医学 国際シンポジウム DVD上映会
■ルディー・バースパー 夫妻講義
■第一回 ホメオパシー医学 国際シンポジウム 開催報告
■統合医療展2007 出展報告
■第47回
日本人間ドック学会第1回 国際人間ドック会議
■世界ホメオパシー認識週間2006
■スピリチュアルコンベンション福岡出展

■ハーネマン生誕250周年記念関連イベント
■アースデイ東京2005 出展
■名古屋スピリチュアルコンベンション出展
■ハーネマン 250年記念講演会

ARH雑誌 表紙

イギリスの600名からなるホメオパスの団体
ARH(英国認定ホメオパス連合)の
雑誌「Homeopathy in practice」にて
由井会長の震災後の活動、被災地での活動が
8ページにわたり紹介されました。

下記は記事の和訳です。


大災害と放射線問題に対するホメオパシーアプローチ
東日本大震災レポート
由井 寅子 日本ホメオパシー医学協会(JPHMA)会長
ARH

東北地方太平洋沖地震は、2011年3月11日14時46分、日本の太平洋三陸沖を震源として発生。東日本を中心に甚大な被害をもたらした、東日本大震災を引き起こしました。
この原稿を書いている本日は、それから約1カ月後にあたります。

2011年4月8日警察庁の発表では、12都県(福島、群馬、茨城、栃木、宮城、山形、新潟、山梨、長野、埼玉、東京、千葉)で、死者1万2731名。行方不明者1万4796名。負傷者4373名。
避難所は18都道県で、2,331か所に設置され、15万5873名が避難しています。
全壊建物は9都県で4万8564戸。
この大災害が、日本、そして世界へ与えたショックは、昨日の事のように未だ鮮明です。
ARHカリン会長も含め、多くの海外のホメオパシー関連者の方から私やJPHMAへ励ましのメッセージを頂きました。この場をお借りし、改めて皆さまの温かいご支援にお礼を申し上げます。
私とJPHMAは、この地震が起きた日から休む間もなく、会員だけでなく、ホメオパシーを求める人々へ支援活動を続けています。

実際、この地震が起きた時、私は、すぐにでも被災地に飛んで行きたかったのですが、西日本での講演会の予定が決まっており、また東日本への交通アクセスが機能しなくなっていた為、被災地訪問できる日までは、電気はありませんでしたが、携帯でのメールは出来、遠隔でのサポートでした。
被災地のJPHMA会員は、このような災害で受けた心と体のトラウマに合うレメディーの入った36種類のホームキットを持っており、それを配ったり、日頃からセルフケア講座をしていたがとても幸運となりました。

しかし、想定外の事態が起きました。1971年に米国のジェネラルエレクトリス社マーク1タイプが、原子炉が福島に入り、40年近く原子力発電所として、活動していたのに、地震の津波によって原子炉を冷却する電源が失われ、燃料棒が一部とけて放射能が漏れだしました。
日本は活動している原発は55基もあり、休眠並びにつくられる予定もいれると77基もあります。こんな地震の国と言われている日本にこれほどの原発をつくってしまったのは、火に油を注ぐものです。
それでも運よく、チェルノブイリのように原子炉が爆発し一度に大量の放射能が放出されたわけではなく放出量も10分の一であり、現在のところ健康被害が出ている人は誰もいません。

それなのに、海外では「原子炉が爆発し、キノコ雲が上がった。日本は訪問するに非常に危険な場所」と本当でないことが報道され、放射能の飛散でごく一部の野菜で基準を上回る放射線が検出されましたが、それも1ヵ月後にはほとんどなくなっているにもかかわらず、メディアは不適切なイメージを使い、津波でほとんどの家が流された写真の横に、1945年8月6日、広島の原爆で崩壊状態の写真を載せている(あたかも原発で家が崩壊してしまったかのように)、日本から来た産物は送り返される」など、過剰な反応を多くの国が行っています。
そして日本でも事故のあった福島の産物が日本国内でもボイコットをされている現状があります。
私が福島を訪れた時、野菜や果物の産地である福島県民は、深い鬱の中にいました。自分の作った出荷寸前のキャベツが売れないとばかり、ある農家の人は自殺をしてしまいました。
皆さんはホメオパスであるので、ホメオパシーの原型といえるシュルツの量の法則をご存知と思いますが(下記インフォメーションボックス参照)、大量では健康に害のある放射能が、少量であるならば、逆に自己治癒力が触発され、元気になって行けるのです。

また、私は、より効果的に放射能の害を解毒する為、放射能レメディーのコンビネーションを作りました(Cadmium sulph, Sol, Plutonium, Kali iodatum, Radium bromide, Uranium nitricum, Caesium hydroxide, Thyroidinum, and PARHthyroid gland)。チェルノブイリの爆発の後、セシューム137は風によって、近隣のヨーロッパの国々に入っていますが、高濃度の放射能雨を浴びない限り、皆さんこうして元気で生きておられますよね。そもそも世界で2000回以上も行われている核実験で、多くの放射能が地球上にまかれてしまっているのです。
ですから不必要に放射能を恐れる必要はなく、日頃から体内に危険な物質を入れないことを心がけ、自己治癒力を触発するホメオパシーや他の療法を使い、体から押し出して行けばいいのです。危険なものは何も放射性物質だけでなく、予防接種や薬、農薬、食品添加物なども危険です。今回の原発事故はエネルギーも含め、医療、農業、食品が自然な形に変えていく必要がせまられていることの象徴と思います。

ARH

JPHMA災害救済活動
地震が起きてから、私の被災地訪問日まで

これらのレメディーは3月11日の地震の直後すぐににホメオパシー研究所に依頼し、PTSDと放射線のレメディーを急きょ制作してもらい、その日に、インターネットで無料提供を始めました。
そして、3月18日にホメオパシージャパン様の協力を得て、JPHMA災害部隊は、レメディーと物質を積んで福島、宮城に向かいました。高速道路が通行止めとなっており、一般路でしたので、行きに12時間、帰りに9時間かけて渡してくれました。
ちょうど私は、ずっと以前から4月2日に宮城県仙台市での講演会を予定しておりましたので、それはキャンセルすることなく、その前後の4月1日福島、4月3日岩手の3県を訪問し、集まった会員たち並びに一般人の方々にPTSDと放射線のレメディーを無料で配り、地元の方々に向けて、激励講演ならびに災害対策レメディーのセミナーを行いました。

こういった状況を以下時系列で報告いたします。
JPHMAホームページには以下のように呼び掛けました。
どこへ行くにも、必ずホームキットを持参してください!
どんなときにも、ホメオパシーに関係する人々は、気丈に、勇気を持たれ、助けが必要な方々に手を差し伸べましょう。

ホメオパシー研究所とホメオパシージャパン株式会社から応援をいただき、被害者の皆様、そして、心が不安で仕方がない皆様に、JPHMAから以下の2種類のレメディーを無料でお渡ししています。


①PTSDのレメディー(Acon.、Arn.、Ars.)
恐怖や不安、打撲ケガにあう必須のレメディーとなりますので、常に持ち歩いてください。
大地震によるショックから深い心の傷となるPTSD(心的外傷後ストレス障害)にならないために、早いうちにホメオパシーで対処する事が望ましいと思います。

②放射線のレメディー(Cadm-s.、Sol.、Pluton.、Kali-iod.、Rad-br.、Uran-n.、Caes-h.、Thyr.、PARHthyr-gl.の放射線レメディー
放射線の問題にあうレメディーです。

また、キットお持ちの方は、以下のレメディーは心のショックや緊急時の対応にとっても良いレメディーです。(過去にこのような経験でPTSDをお持ちの方にもおすすめいたします。)

Acon. (アコナイト) 恐怖、後に恐怖が続く
Op.(オピューム) 恐怖、恐怖の感覚が麻痺するほどの恐怖
Arg-n. (アージニット) 恐怖、パニック
Stram.(ストロモニウム) 恐怖
Ars.(アーセニカム) 不安、心配、下痢
Arn. (アーニカ)
Hyper.(ハイペリカム)
打撲、ケガ
Canth.(カンサリス)
Ars.(アーセニカム)
火傷への対処
Phos.(フォスフォラス) 感電への対処
Nux-v.(ナックスボミカ)
Ars.(アーセニカム)
Carb-v.(カーボベジ)
有害物質よる空気汚染もしくは、雨

私は、ホメオパシーの説明に上がった昨年の私の訪問を思い起こせながら、3月14日、厚生労働大臣へ以下の手紙を出しました地震と津波のような大惨事によって起こった極度のトラウマへの被害者にホメオパシーは有益である事を彼に伝えました。ホメオパシーは、被害者達が、自らの経験を話す事で、PTSDのように長期に渡る問題のリスクを減らす事ができる助けとなる。私は、被災者にホメオパスを送る私の計画に承認を頂くよう頼みました。

3月11日以降、私は、訪問する日を心待ちにしながら、毎日東北の会員に向けてメッセージを送り続けました。今日に至るまで、被災地にいる会員達から受けた現場や緊張報告は何百件にも上ります。
東北の寒い気候の中、ガス、水道が止まり、食糧も不足した中での状況報告を読むのは、本当にいたたまれない思いでした。しかし、ポジティブに受け取る会員が多く、私は東北の方々の忍耐強さと霊性の高さを改めて学びました。
「先生からのメールをみて、涙が出ました。」
「この災害から大きな学びを得た」
「怖くて不安で心配で…でも、先生のメッセージを読んで、勇気がでました。自分も日本も、どうあるべきか、立ち上がります。」
「由井先生からも携帯へのメッセージ、4/2の寅子先生が宮城に来る知らせを知りその思いに涙が止まりませんでした。希望と勇気をもらえました。」
「電気もガスも水道も出ない暗闇の中で、唯一の連絡がとれる携帯メールで由井先生からのメッセージを泣きながら読みました。先生のエールに勇気と生きる力が湧いてきました。」

ARH

2011年4月1〜3日福島、宮城、岩手訪問

ついに、被災地を訪問し、チャリティー講演をする日が来ました。
JPHMA被災支援部隊の有志6名と共に大量の物資とレメディーを積んで、4月1日、朝、午前6時に東京を出発しました。
車は福島に突入しました。そのあたりから、頭が重く感じられ、締めつけられるようでした。又、とてもまぶしく感じられ、河原も、川も、地面も、何もかもの光が、ギラギラと輝いていました。
ガイガーカウンターでは、「2μsv/h」を示していましたので、福島ではペットボトルに放射線のレメディーを入れ、とりました。すぐに目がかゆくなりました。鼻水と咳が出始めましたが、頭の重さ、ギラギラ光る感じ、締めつけは楽になってきました。
早速、原発から現在地を示す指針としての20km以内「通行止め」サインが出てきて、検問されましたが、その先の村の親戚に物資を運ぶといいわけをし、福島の二つの原発の間を流れて太平洋に向かう川の源流に向かいました。
持参したガイガーカウンターは、5μsv/h (5マイクロシーベルト/毎時 )放射能の高いレベルを測定。
その川にRadioActiveレメディーとX-rayのレメディーのアルコールレメディー2リッターを原発の近くまで届きますようにと心をこめて流しました。(1=相当量の被爆 10=強い被爆)

そして、梨農園に 放射線のレメディー の入った土壌改良のためのアクティブプラントを提供しに行きました。この日は声が出にくく、痰が多く出て来ていました。ガイガーカウンターは、空気中は「2μsv/h」、しかし土壌は「5μsv/h」でした。再度、ペットボトルに入れた放射線のレメディーをとりました。
その後福島県庁へ訪問し、日本ホメオパシー財団並びにJPHMAに集められた寄付金100万円を募金しました。
次に福島の会員達が待つ会場へ向かいました。
その時の会場のアスファルトでは「7μsv/h」のレベルでした。私たちは、頻繁に水の放射線のレメディーをリピートしました。
「放射線汚染対策と心のケア」の講演会をしなければならないのに、頭がボーっとして、言葉が出てこなく、座っていても上半身がグラグラ動くようで、倒れるのではないかと、机に両手で自分の体重を支えました。
これは会場に来られた福島の人の体験した地震の揺れと、心の中の得体の知れない恐怖に、私が共鳴し、再体験しているのだということがわかりました。それほど私はパニックになっていました。もう一度放射線のレメディーをとりました。講演を始めて、15分後、その症状も去り、頭もすっきりし、福島の方々に激励と  放射性物質に汚染された土壌や肉体をどのように浄化すれば良いかについて、広島、長崎、チェルノブイリで学んだ人類の知恵や、ホメオパシーのアプローチを紹介しました。また災害後の心の傷をトラウマ化させないよう、症状に応じたレメディーを紹介しました。

その講演の終わる頃に、大きな悲しみが私の胸を貫き、涙が止まらなくなりました。福島県民が今、このようなことになってしまったことに、自分たちを恥じているのではないかという悲しみが、私を襲ったのです。だから私は、「少量、放射能汚染があるぐらいの福島の梨なら食べるから、皆にも食べてもらえるように言うから」と言っていました。
放射線のレメディーを水で頻繁にとっていたためか、この会場にいる福島の方々の心と体の体験を、とても敏感に、手にとるようにキャッチしていた自分がいたのです。

また、ロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシーでは、3月27日が卒業式だったのですが、この震災の為に東京まで来る事ができなかった卒業生3名の為にサプライズ卒業式を行いました。きっとこの苦難を体験したホメオパスの卵たちは、人の役に立つ良いホメオパスとなることでしょう。

2011年4月2日

ARH

福島を後にし、私は仙台の被災地に向けて車を飛ばしていました。被災地に近づくにつれて、胸騒ぎが始まりました。そして、津波で全壊した地に来た時に、心臓がバクバクして苦しかったので、PTSDのレメディーをとりました。そうしたら心臓の動悸も消え、心が穏やかになりました。
車をとめ、足をおろした途端、足から得体の知れない恐怖と悲しみがこみ上げてきました。もう一度、PTSDのレメディーと Ign. をとりました。恐怖は静かな悲しみに変わりました。その地はいまだ、泥で多くの死体が埋まっている所でした。そこに土地の浄化を一本まきました。これをまいたことで多くの亡くなられた方々が、天に戻れることを祈りました。今回の私の役目の一つ、魂の鎮魂は遂行できました。
ここでもJPHMAが集めた100万円の義捐金をお渡ししに宮城県庁へ行き、その後は、仙台の会員の待つ会場へ。
ここでも昨日と同様、地元の会員達と共に涙しました。ここでは、200名近くの人々が私の来るのを待っていてくれ、せいだいな拍手で迎えられ、彼らはわたしを心待ちにしていたのがよくわかりました。口々にこの危険な中、よく来てくれた、まして、レメディーや水も無料で提供いただき心から感謝しますという声をいただきました。ここでも被災の中どう生き抜くかと言う講演会をし、激励をして来ました。

2011年4月3日

次の日、さらに北上し東松島へ向かいました。
2011年3月11日14時46分三陸沖を中心に東日本を襲った大震災。
奥松島観光案内所の建物の時計は、その時刻を指したまま止まっていました。
この時間の1秒前まで、ここには街があり、ごく普通の日常が広がっていたのでしょう。
ここには大きな川があり、この川をつたい津波が20km近く上がった場所でした。
この町は戦場と化してほとんどが崩壊状態でした。これを見た私は、淡々とした心で、もう心が動かないのです。「ここは地獄か」と思えるほどの瓦礫の山を、何かを感じたくて車から降りて、2時間も歩いていたのですが、映画を見ているような自分がいます。
「そうだ、PTSDと放射線のレメディーを再度とってみよう」と思い立ちとってみると、この瓦礫の山を復興のため必死に片づけている自衛隊や、壊れた家の持ち主達が、見つからない身内を探しているのか、それとも一生懸命家を片づけている人々が目に入ってきて、私は地獄から現実に戻ってきたのです。
こんな大変な中で、人間が再度生きようと、必死にもがいているように見えたのです。私は近づいて彼らを見つめました。その横顔は絶望ではなく、希望の光にあふれていたのです。私は何とも力強い北国の同胞達に、心から「偉いぞ−」と拍手を送らざるを得なかったのです。
北国は自然が厳しくそれを耐えぬいた人々、だからこそ、こんな大変であるのに自分たちのできることを、黙々と遂行することができると思いました。
岩手県庁へ100万円の義捐金をお渡しした後、岩手の会員の待つ会場へ。
緊急講演という事で告知期間が1週間もない状況だったのですが、口コミで広がった情報をもとに、会場には老いも若きも、男性も女性も子供も100名近くの方々にお集まり頂きました。
ここでも会場の準備をしてくれた会員と会った時は、皆で抱き合いボロボロ泣きました。

東北3県の参加者全員へ、JPHMAから支援物資として、HJから何百人用ものレメディー、HPからレメディー辞典、研究所から乾燥野菜、無添加手作り味噌、ひまわりの種、洞爺の水などが無償配布されました。
こうして3日間に渡る、私とJPHMA会員、支援協力メンバーの皆様 福島、宮城、岩手の行程が無事終わりました。
皆様と会い、共に、この苦難から学び、勇気をもって生きていくことを約束し合った3日間でした。
私は数々の被災地の現場に立ち、レメディーでの鎮魂を行い、心からの祈りを捧げました。
そして、福島での放射性物質汚染の問題に関して真正面から取り組み、被災地の皆様への義援金のサポートを届けました。400名近くの方々とのふれあい、勇気と希望を持って生き抜くためのホメオパシーのセミナーが大きな愛とエネルギーとなって、今回訪れた場所だけでなく、東北の全ての被災地を包み込んだ事を願います。

ARH

現在このレメディーを摂った人々からのアンケートを回収し、分析中です。
以下、その一例を紹介します。

●2011/4/10
犬トイプードルPTSDのレメディーを1粒飲ませました。その後は、犬が走り寄ってくる度に(犬が欲しているのかと思い)PTSDのレメディーを飲ませました。地震後3〜4日は余震で家がガタガタ言う音に反応して吠えていた犬も、今では震度4以上の余震が来ても全く動じず平気で寝てます!!
●2011.4/10
地震の日以来、子どもが夜中に何度か泣いていましたが、PTSDのレメディーをその都度飲ませていたら安心して眠れるようになりました。私もニュースなどを見て時々不安になる時はとるようにしています。落ち着いていることができています。PTSDのレメディーを取ったら、楽になって自然に笑顔になりました。やはり今まで気が張っていたのだなと、改めて気づきました。ありがとうございました。
●2011.4.1
震災後トイレに行くのにも1人で行けなかった娘と息子が、PTSDのレメディーをとってから行けるようになりました。夜も眠れなかった娘は 眠れるようになりました。
●2011.4.1
余震が起きると心臓がドキドキするが、PTSDのレメディーをとるとぐっすり眠れるようになった。
●2011.4.1
取る前は毎日ぼーっと必要な家事以外はテレビかラジオのニュースを聞いて一日が終わっていましたが、PTSDレメディーをとり始めて少しづつ片づけをしようという気になりました。
●2011.4.1
すごくこわかったけど、PTSDレメディーを何度も繰り返し取っている内に落ち着いてきた。前向きな気持ち、明るい未来を信じられるようになった。子供達も恐怖が強かったが今は落ち着いてきた。
●2011.4.1
PTSDレメディーをとりはじめて10日位たったころ腹が座りました。
●2011.3.30
避難所で数日間過ごしていたのですが、食糧が尽きてきて、どうしようと思っていたところに、実家に戻ることができました。おととい、名古屋のホメオパシーにレメディをいただきにいきました。PTSDレメディーをとった長男(8才)はおとといの晩から発熱、今は咳がひどいですが、元気になってきました。次男(3才)は、昨日、肘が外れましたが、自然に戻りましてホッとしております。放射線のレメディは今日、一粒ずつとり始めました。ホメオパシーの皆さんからのメールに励まされています。寅子先生のメール、涙が止まらず、ひとしきり泣いてでも、気力が湧いてきました。明日も見えない状態ですが、また皆さんに会える日を心から楽しみにしてます。
●2011.3.27
放射線レメディー・PTSDのレメディーをとりました。私自身、花粉症は克服できたと思っていたのにセミナーの10日程前から目のまわり、口のまわりが痒くて痒くて痒くてという状態でした。いただいたものを1粒とってみたところ、劇的に改善しました。翌日は涙ボロボロ痒い痒いの友達にもとってもらいました。15分くらいで痒くなくなったとびっくりしていました。関西に住んでいる子供がPTSDレメディーをとると目の前が明るくなったと言ってました。息子の彼女も同じ様に感じたと言ってました。恐怖に思っていないようでも心の底では恐れがあるんですね。
●2011.3.24
JPHMA京都シンポジウムの会場での体験です。1階入り口にあるガラスにカラスが突っ込んできました。見るからに瀕死の状態で起き上がることもできず、そのままでは恐らく死んでしまうのではと思うぐらいの状態でした。入口に真っ黒なカラスが横たわっている状態でしたので、JPHMAの窓口で配布してもらっていたPTSDレメディーを持っていましたので、まず、PTSDレメディーをあげてみようと思い、カラスに近づき口を手で開けてレメディーをあげてみると、舌を出してペロペロとなめてくれました。それまで瞬き一つしない状態だったのに、目をパチクリさせて生き返ったのです。そのまま、花壇へ運んだら、自分の力で立ってくれました。まだ、飛べる状態ではなく歩くこともできない状態でしたが、5分くらい経過したでしょうか、そっと近づいてみると、トコトコと歩き出し、その瞬間飛び立っていきました。びっくりしてその場にいた人々みなから、思わず拍手が沸き起こりました。PTSDレメディーの自己治癒力を触発する力は本当にすごいと思いました。ホメオパシーの素晴らしさを改めて実感した一幕でした。
●2011.3.24
熊本で行われたとらこ先生の講演会での体験談です。講演会が始まる前のちょっとした出来事です。ボランティアの方に、準備のお手伝いをお願いしておりました。ボランティアの方は初めての体験に、非常に緊張してまして、手に汗をかいて全く乾かない状態だったので、PTSDレメディーを飲んでもらいました。数分経ったでしょうか、ボランティアの方に聞いてみたら、汗がひいて緊張も無くなったそうです。PTSDレメディーをとるだけで、無意味な緊張をなくして、本来の自分自身を取り戻せて、落ち着いて様々な活動をこなされていました。被災地で緊迫している方々や今回の地震で不安で仕方がない方々にも、必要なレメディーであると思いました。
●2011.3.21
Acon.を取っただけでも充分落ち着きました。刻々と報道されるニュース等を見ながら基本的に大丈夫と思っていてもどこか漠とした不安感をぬぐえないでソワソワしている時にPTSDレメディーを一粒取り、落ち着きました。放射線レメディーは水道水に放射線が東京でも検出されたときから家族で水ポにして頂いています。安心感が出てきました。
●2011.3.21
先週の日曜日に頂いて帰った放射線のレメディーを水ポをコップ一杯一気飲みほして寝ました。そうすると朝までぐっすり眠り、とっても深く眠れました。この数年トイレに夜起きない日はな かったのに、久々に朝まで眠っていて驚きました。
●2011.3.20
PTSDと放射線のレメディーを摂っての報告です。それまでは不安で不安で仕方なく、胸が苦しい感じだったのが、レメディーを摂り、胸がすっと軽くなりました。不安はまだありますが、私たちの祈りは通じる、と思えます。たくさんの方にレメディーをお渡ししたいと思います。本当にありがとうございました。
●2011.3.15
この地震のあと、ずっと不眠となっていたのですが、いただいたレメディー(PTSDレメディーと放射線レメディー)を摂りましたら、久しぶりに熟睡できました。びっくりしました。寝坊するくらい眠ってしまいました。レメディーってこんなに即効性のあるものだということを実感したとともに、自分が気づかないところで、深く不安になっていることがわかりました。地震の後、余震が怖くて、ずっと眠れなかったので、大変助かりました。ありがとうございました。