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平成22年8月5日創刊 ホメオパシー新聞(号外)

ホメオパシー新聞その13
新刊の「ホメオパシー子育て日記」推薦者まえがきで、由井会長が今回のホメオパシーバッシングを語る

ホメオパシー子育て日記 中村 房代(著)

実際に二人のお子さんのアトピーと向き合い、ホメオパシーを使って真の健康を取り戻したお母さんの奮闘記。好転反応、周囲の無理解、現代医学とホメオパシーの間で抱えた葛藤、インナーチャイルド・・・。表面だけでなく、心の奥深くから二人の子供と自分自身と向き合い、苦しみ抜いた日々、そして、そこからアトピーを超えた真の健康を取り戻していく日々が真摯な言葉で語られています。子どもの問題や病気を解決するヒントがいっぱいです。

由井寅子推薦者まえがき

ホメオパシー療法を行う上での試練

多くの人がホメオパシーと出会い、治癒するまでの間に通るもろもろの試練ともいうべき過程があります。本書はそれを乗り切るための多くの気づきに満ちています。

試練の一つとして好転反応があります。好転反応というのは、ホメオパシーで使われるレメディー(砂糖玉やアルコール溶液)の刺激を受けて自己治癒力が発動し、体から体毒(老廃物)の排泄が始まることをいいます。本ケースのように、本人や親が症状をステロイドで抑圧した歴史がある場合、その抑圧の期間が長ければ長いほど、また使用したステロイドの量が多ければ多いほど、好転反応もそれだけ長く続く傾向があります。

そして好転反応に関してもさることながら、レメディーは原物質を1分子も含まないほどに希釈されていることもあって、ホメオパシーそのものについても、家族の理解を得ることが難しかったりします。それも試練の一つとしてあります。そして知人、親戚縁者、近所の人々、学校の先生、かかりつけの医師などの理解を得ることはさらに難しく、ホメオパシーの説明をすると「それは、宗教か?」などと言われることもしばしばです。そして、こうした周囲の理解が得られない状況で好転反応が長く続くと、孤独でたいへん辛い状況になってしまいます。

このようにホメオパシーに対して周囲の理解が得られないなか、たとえば子どものアトピー性皮膚炎が一向によくなったように見えず、痒みで昼となく夜となく泣き叫ぶような状況ですと、患者のみならず母親が疲弊してしまい、ホメオパシーへの信頼が揺らぎ途中でホメオパシー療法を断念してしまう人もいます。このような身近にホメオパシーを理解し心の支えとなってくれる人が誰もいない状況のなかでホメオパシーを続けるのは勇気と忍耐が必要ですが、本書はそのような孤立無援のお母さんたちのよき心の支えになってくれるのではないかと思います。もちろん不安で辛いときは担当ホメオパスに相談してください。

ホメオパシーを絶対視しない。現代医学を敵対視しない

しかし家族あるいは周囲の人々から孤立してしまうというのは、相手ばかりの問題ではなく自分にも問題があることが多いです。「ホメオパシーは絶対正しくそれを理解しない人が悪い」、「好転反応を理解しない人が悪い」、「私は間違っていないのに周りの人が私を責める」、「薬は絶対とらない」、「予防接種は絶対やらない」などと思っていると、つい自分の正しさを押しつけて相手を批判してしまうことになります。そうすると相手は自分が否定されたと考えますから、相手も余計に自分の正しさを主張するようになります。これではお互いに頑なになってしまいます。相手の頑固さは自分の頑固さの反映であることが多いのです。まずは相手を受け入れることです。相手を強引に納得させようとするのではなく、相手の気持ちを慮って話をすることが大切です。まして医師や病院と戦う必要も敵対視する必要もありません。現代医学、薬、検査の必要性と重要性を認め、必要なときは薬も使うし病院にも行くという姿勢で話をすることです。相手の考えを受け入れた上で話をすればよい方向に行くと思うのです。

著者が気づいたように、多くの医師もなんとか患者さんを助けたいと思っているわけです。そして病院で検査を受けることで、ときに命にかかわる問題が発見され、危険な状態を回避できることもあるわけです。ホメオパシーですべてのケースが治るわけでもありませんし、臓器レベルや器官レベルで病気になっている場合はホメオパシーだけでは限界があります。マザーチンクチャー、生命組織塩、臓器サポートレメディーなどでサポートすることも大切ですし、現代医学と協力しながら治療することも大切なことです。現代医学とホメオパシーはそれぞれに得手不得手がありますから、医師とホメオパスがお互いの職業を尊重し合い、協力し合うことが患者さんの利益につながります。治療家や患者の一人ひとりがそのように考え希望することによって、ホメオパシーと現代医学、ホメオパスと医師が手に手を取って共存していく道が自ずと形成されてくると信じています。

そもそも、もし自分が正しいことを心底知っていたら戦う必要も自分の正しさを主張する必要もなくなるはずですし、相手を認める余裕をもてるはずです。どこかに疑いがあるから、勝利して自分の正しさを証明しなければならないという気持ちになるのです。そういう意味では、過剰にホメオパシーに敵対心を燃やす医師や科学者、過剰にホメオパシー的考えを否定する人を見ると、彼らが大きな不安や恐怖を抱いていることがわかります。ホメオパシー的価値観というものは常識的な価値観と正反対のことが多いですから、ホメオパシーの話を聞くと自分の価値観を守るために拒絶反応を示す人が多いのです。

そういう私もかつては同じ恐怖を抱えていました。ですからホメオパシーを否定する医師や権威に対し、ホメオパシーの正しさを証明しようと躍起になっていた自分がいたと思います。そんなある日、息子が腕を折りけがをしました。今から12〜 13年前のまだ私が英国と日本を行き来していたときのことです。折れた骨に添え木を当てて包帯で巻いて固定してと、自分なりに必死にやりました。レメディーもどんどん与えました。ホメオパシーをやっているというだけで英国の医師からホームドクターを断られたこともあり、医師に頼らなくても自分でできるしやらなくてはと思っていましたが、やはりできないこともあると思い知らされました。このとき現代医学は必要なものであり認めていかなければならないと理解し、自分の過ちに気づいたのです。結局、息子は元夫に病院を紹介してもらい治療を受けることができました。

ハーネマンは『医術のオルガノン』(ホメオパシー出版)の中で、症状を抑圧するとより一層ひどくなって戻ってくると多くの例をあげて警告していますが、私の経験からもこれは疑いのない事実です。したがって、昔は好転反応を薬で抑圧することはよくないことだと考えていました。しかし次第にホメオパシー療法を続けてもらい治癒に導くためには、薬を使って一時的な緩和が必要なときもあることがわかっていきました。辛くてホメオパシー療法を続けるのが困難なときは薬をとったらよいのです。ですから私は、頑なに薬を使うことを拒否する患者さんに次のように言って諭しています。「痛みがひどいときは緩和も必要よ。とても辛いときは一時的に楽になることも必要よ。薬を使って楽になるのであれば、ときには使いましょう。薬を使ってもその毒出しをホメオパシーではできるのだから」と。もちろん、薬を使わないと命にかかわるケースでは薬を使うのは当然のことです。

また予防接種はよくないとして頑なにそれを拒否してしまう人がいます。そして子どもに予防接種を受けさせる受けさせないをめぐって家族が対立し、夫と対立し、喧々囂々の大騒ぎとなり、離婚問題にまで発展することも珍しいことではありません。そんな相談を受けたとき、私は次のように言って諭しています。「離婚するぐらいなら予防接種を受けさせましょうよ。家族がばらばらになるくらいなら予防接種を受けさせましょうよ。予防接種をしても健康であれば副反応は生じないでしょうし、後でワクチンの毒出しをホメオパシーではできるのですから」と。あまり薬はだめ、現代医学はだめ、予防接種はだめとせずに状況に応じ臨機応変に対応してもらいたいと思っています。

好転反応で理解しておいてほしいこと

好転反応でひとつ理解しておいてほしいことは、複雑な病理を抱える現代人の場合、好転反応は放っておけば自然に収束するというものではなく、適切に対処しないと治癒していかないことが多いということです。体に不必要な老廃物(体毒)がたくさん溜まっているならば、それらは排泄されるしかありません。それは間違いありませんが、症状が出続けるのは、そればかりが原因とは限りません。症状を押し出せないフタがある場合やマヤズム(病気を生み出す土壌)が立ち上がっている場合は、やはり症状が出続けることになります。たとえば、過去に症状を薬で抑圧したことがある場合、薬のフタとも言うべき層ができてしまっていて、そのフタが取れないためにいつまでも症状が出続けることが多いのです。

ところで慢性病は急性病から移行して形成されることが多いのですが、慢性病を治癒させるためにはいったん急性症状の状態まで巻き戻す必要があります。同種のレメディーをとって自然治癒力が発動すると、その巻き戻しが始まります。ですから治癒の過程でいったん急性症状に戻ることが多く、治癒のためには、その地点まで行けるようバイタリティを高めていく必要があります。そうして出てきた急性症状に適切なレメディーを与えることで根本的な治癒に導くことができます。しかし過去に急性症状を薬で抑圧したことがあると、薬によるフタができていて、その地点までもっていくことができない場合があります。

そういう場合は薬のフタを取るための医原病アプローチが必要になり、異物を異物として認識する自己治癒力を高めていく必要があるのです。

同様にマヤズムが立ち上がっている場合はマヤズム治療が必要になりますし、現代においては複数のマヤズムが同時に立ち上がっていることも珍しくなく、マヤズム理論をしっかりと理解していないと現代の複雑な疾患には太刀打ちできません。また、心のトラウマがあって症状が出続けてる場合は、それを解決しなければなりません。

ですからレメディーをとることで自己治癒力が発動し、好転反応としての症状が出ることはよくあることですが、だからといって、そのまま時が経てば症状が治まって治癒するという単純なものではありません。レメディーで自己治癒力を発動させ好転反応を生じさせることができたとしても、医原病アプローチとマヤズム理論の深い理解がないと治癒に導けないことが多いのです。また治癒をスムーズにするための介入レメディーや臓器サポートも必要になります。ですから慢性病の場合は、自分の判断でレメディーをとらずに最初からホメオパスに相談してほしいと言っているのです。そうでないと症状が出続け自分の手に負えなくなり、結局病院に行って再び薬で症状を抑圧することになってしまうケースが多いからです。これはとても残念なことです。一方で慢性病にならないために、皆さんに急性症状が出たときにホメオパシーのホームキットから素早く適合するレメディーをとって健康を取り戻せるよう、是非セルフケアの勉強をしてほしいと願っています。

もっともホメオパスのなかには、医原病アプローチやマヤズム理論に対する正確な理解が不足している人もいるかもしれません。残念ですが、そういうことも可能性としては考えられますから、好転反応が長く続き改善がみられないような場合は、ホメオパスを変えてみるという選択肢も考える必要があります。私自身、『医術のオルガノン』、『慢性病論』、『純粋マテリア・メディカ』、『TBR』などハーネマンとその直弟子の著作の研究と実践を通して日進月歩の勢いで理解を深めており、私が学長を務める学校の卒業生にもキャッチアップしてもらうために定期的に強化学習を開催しています。

インナーチャイルドを癒すことの大切さ

しかし、よくよく考えなければならないことは、予防接種をしたからといって皆が病気になるわけでもアトピー性皮膚炎になるわけでもないということです。病気になるならないというのは、予防接種以外にも何らかの要因があるということです。同様に、同じようにステロイドを使っていたとしても、ホメオパシーで治る人と治らない人がいるように、治る治らないというのもまたホメオパシー以外に何らかの要因があるということです。その何らかの要因というのは、私が考えるに、やはり生き方、考え方が一番大きいのではないかと思うのです。気づかなければならないことがあるから病気になり、気づくことで治るというのが、私の臨床経験から言えることなのです。ですから、私は病気というものは単に治ればよいというものではないと考えています。今までこのようなことを言っても理解してもらうことは難しいと感じていました。しかし、本書を読むことで、そのことが自然と理解してもらえるのではないかと思っています。著者自身の気づきとともに子どもたちが治癒していく過程がよくわかるからです。本書は、実際に経験を通して気づきを得た者だからこそ書くことができた本であり、それゆえ説得力をもっているのです。

子どもが治癒する過程で家族にもいろいろな変化が生じるものですが、子どもの変化以上に親の変化が重要であることは本書をお読みいただくと理解できると思います。変わらなければならないのは子どもの意識というよりも、むしろ親の意識、考え方、価値観なのです。これは親を責めたり苦しめるために言っているのではなく、親が自分を責めるのをやめなければ、つまり親がだめだと思う自分を受け入れることをしなければ、子どもも変わっていかないということを言いたいのです。もちろん、親の価値観は、その親の価値観を受け継いだものですが、この連鎖を止めることができるのは、今、親であるあなたしかいません。子どもには、どうすることもできないのです。ですから私は親である皆さんに本書を読んでいただきたいと思っています。

子どもの病気は、子どものインナーチャイルドが助けを求めて叫んでいる姿だと思うのです。そして子どものインナーチャイルドは親のインナーチャイルドの写しです。そして親のインナーチャイルドはその親のインナーチャイルドの写しです。このことに親が気づき、そして自分のインナーチャイルドを見つめ、受け入れ、愛し、解放することで、それだけ自分を愛することができるようになり、その心で子どもと接することで、子どもも親に呼応するように変化し、親からの愛を感じ、健康になっていくと思うのです。子どもの病気だけを取り除いても根本的な解決にはならないのです。

しかし親も子どもも抑圧がとれることは、周りにいる者にとって必ずしも心地よいこととは限りません。抑圧されていた怒りがわき出てきたり、嫉妬心などが出てきたりするからです。しかし抑圧したものは表に出てこなければなりません。それなくして本当の治癒はありません。それを否定するのではなく、受け入れることを通して親も子どもも変わっていく、成長していくのです。これも試練の一つとしてあります。

まずは自分に正直になることです。自分は本当はどうしてほしかったのか、あるいはどうしたかったのかを思い出してみてください。難しいことは何もありません。心が苦しいとき、悲しいとき、怒っているとき、恐れているとき、妬んでいるとき、ひねくれるとき、自分は何を求め、どうしたかったのかを考えてみてください。ただ愛してほしく、ただ愛したかった。ただ受け入れてほしく、ただ受け入れたかった。ただ認めてほしく、ただ認めたかった。それだけだったはずです。それ以外の何もほしくはなかったし、何もしたくなかったはずなのです。だったら、それを与えてください。まずはあなたの中にいるインナーチャイルドに与えてあげてください。あなたが本当にほしかったものを、あなたが与えてください。そして自分の中のインナーチャイルドに与えたら、今度は自分の子どもに与えてください。そして可能なら、あなたが本当にしたかったことをしてください。

どんな人も愛されたい症候群です。著者も母親に愛されたくて、愛される方法としてテストでよい点をとるということを見つけ、愛されるためによい子をやってきました。そしてよい点がとれないと愛される価値がないとばかり、自己否定してしまっていました。そしてその価値観は結局、母親と同じ価値観であり、それを今度は自分の子どもにも押しつけようとしていた自分に気づきます。これは大きな気づきです。こうして、この連鎖をストップすることができました。すぐれていなければならないという意識の背後には、母親に愛されたいという単純な願いがあっただけなのです。人は誰もが愛を求めています。それは親が愛してくれないと生きていけないという状況があったからです。ここら辺のことは、拙著、『インナーチャイルドが叫んでる!』や『愛じゃ! 人生をかけて人を愛するのじゃ!』をお読みください。

病気や苦しみが気づきをもたらす

それにしても、子どもが病気になり、そしてそれを通して親がホメオパシーと出会い、親の生き方、考え方が変わっていく。一方、子どもはホメオパシー療法を受けて治癒していく。

なにかとても不思議に思います。病気のこの子がいなかったら、果たしてこの親はこのような意識の変化を経験できたでしょうか? 否、病気のこの子がいたからこそ、どうしてこの子が病気になってしまったのかを真剣に考えたと思うのです。そして病気が簡単に治ってしまったら果たしてこの子にとっても親にとってもよかったでしょうか? 否、そうではないと思うのです。いろいろあってなかなか治癒していかなかったからこそ、悩み、その悩みの中でいろいろ考え、たとえばホメオパシーと出会い、自分を見つめ、そうするなかでいろいろ気づくことができ、そうして自然な命に近づくことで、真の解決ができていったと思うのです。

ですから病気で苦しむのは誰でも嫌なことですが、病気は必ずしも悪いものではないということです。病気は苦しいものですが、ときには苦しみを通して学ぶこともたくさんあるということです。本書を読むことで、それがより自然な形でわかっていただけると思います。著者は最後に病気に感謝するようになりますが、そのような気持ちになれたからこそ、病気は治ったと言えると思うのです。

私も過去にいろいろと苦しいことがありましたが、あの苦しみが間違いなく私を導いていた、あの苦しみがあったから今の私があると、自分の人生を振り返ったとき実感することができます。あの苦しみがあったから私は自分に正直に生きるしかなく自然体に近づくことができた、あの苦しみがなかったら私は道を間違えていた、と思うのです。「この苦しみがなくなったらどんなに楽だろう」と何度も思ったことがあります。しかし、その苦しみはなくなりませんでした。なくならなくてよかったのです。もしあの苦しみがなくなっていたら、私は私を導く導き手を失うことになっていたでしょう。苦しみの原因は、突き詰めると自分の中にある執着、欲であり、生き方、考え方が自然から離れていることにあります。それに気づくこと以外に真に苦しみから解放されることはないのです。

ですから、ときどき私は中途半端に健康でいるよりも、いっそ大病した方がよいのではないかと思ってしまうことがあります。死を実感することで、自分のこれまでの人生を振り返り、人はどう生き自分は何をすべきかを深く考えることができると思うからです。そして苦しみの中でしか本当の気づき、自然体に戻ることの必要性と重要性、何が本当に自然なのかという気づきは得られないのではないかと思うことがあるからです。苦しみは強烈な現実感を与え、それゆえに真剣にならざるをえず、その真剣さの中に変化する可能性が潜んでいると思うのです。苦しみの中でしか人はなかなか自分を見つめようとはしないし、変えようとはしないものですから。

苦しみは悪いものではないのです。カルマは悪いものではないのです。学習するために必要なもの、自然に戻るために必要なものだということです。ですから、ときに苦しみを取り除いてあげないことが助けとなります。あるとき私は神仏がこれをやっているのだということに気づきました。すなわち、苦しみをとってあげないことのなかに神仏の慈悲が表れていることがわかりました。助けないことのなかに神仏の愛が溢れていることがわかったのです。ですからホメオパスは言うわけです。治すのはあなたですよ。ホメオパスでもホメオパシーでもありません。自分を救うのは自分なのですよと。

「予防接種は悪い」の先にある善いこと

だから、その苦しみを与えるもの(予防接種や薬剤)を一概に否定してよいのだろうかと思い始めたわけです。パラケルススが当時の医師(現代の医師ではなく)にも役目があって、その役目とは鬼の役目である、罪を焼く浄罪火の役目であると言いましたが、自然に戻ろうとする意志を取り戻すためには自分を映す鏡としての不自然さを必要としていたということです。昔ワクチンには善い点は何一つとしてないと断言していた私ですが、それは間違っていたのです。ワクチンにも確かに役目はあったのです。ワクチンを全面否定することは正しいことではなかったのです。これは冗談でも皮肉でもなく素直な気持ちで言っているのです。

子どもに予防接種を受けさせることの是非に関して、本当は親が目覚めて何が自然で何が不自然なのかを理解して、つまりホメオパシー的哲学を理解し、心かき乱される出来事の意味、病気の意味、症状の意味、病原体の意味、子どものかかる病気の意味を心底理解し、確信をもって予防接種をしないことに意味があるのであり、そうでないのであれば、むしろ予防接種を受けて、子どもが病気になり、その中で疑問をもち、もがき苦しみ、そんな中で本当の正しさに辿り着くことを通して本来の自分に戻ることが大切なのではないかと思うようになってきました。つまり健康であることが大切なのではなく、病気になって間違いに気づくことを通して本当の健康を取り戻し、本来の自分を取り戻し、自分を生きることができるようになることが大切だと思うようになってきたのです。

そのように考えたとき、予防接種も悪くない、意味があるのだと思えるようになってきたわけです。それで私は『予防接種トンデモ論』、『それでもあなたは新型インフルエンザワクチンを打ちますか?』、『発達障害へのホメオパシー的アプローチ』、『由井寅子の予防接種と医原病入門』、『講義録A トレバー・ガン 予防接種は果たして有効か?』など予防接種関連の書籍を廃刊すると学生たちの前で宣言してしまいました。しかし廃刊にしないでほしいという要望もあり、また本書を通して大きな気づきを得る人もいるかもしれませんので、とりあえず在庫がなくなるまでは販売を続けることにしました。

今、多くの人が予防接種をよいもの、免疫を向上させるものと考えています。しかし実際のところ予防接種は免疫を低下させる元凶であり、遅かれ早かれその事実が明らかとなるでしょう。そのとき、予防接種は悪いものというレッテルが貼られるでしょう。しかし、その先があるのです。それが今私が述べていることです。予防接種が悪いものという先に、不自然な自分を映す鏡としての予防接種の役割があるということです。

何かを学ぶために病気になる

著者は、単に治ることが大事なことではなく治る過程が大事なことであることに気づきました。もし治療家がただ単に患者さんの病気を治したらおそらくその治療家は患者さんのカルマを受け取ることになってしまうでしょう。病気を治すということは、本来それだけの責任を伴うものなのです。一方、患者さんは何も学習していないので、いずれ(今世か来世以降かわかりませんが)同じテーマでつまずき学習することになるでしょう。理由があって病気になっているのですから、本来その原因を解決することなく病気を治してよいはずはないのです。必要があって病気になっているということを治療家も患者さんも理解する必要があります。理由があって調子が悪くなり、理由があって病気になっているのです。だから単に病気が治ればよいというものではなく、何か気づく必要があるということなのです。まさに病気はお知らせです。生き方、考え方がどこかで間違っていますよ、修正する必要がありますよというお知らせなのです。

病気をそのようなものと考えると、同種の刺激で気づきを促し、自然治癒力を触発するホメオパシーは、この「お知らせ」としての病気の意味を自覚するに最適な療法といえます。ホメオパシー療法を受けた人が生き方、考え方が大きく変わる経験をすることもめずらしいことではありません。しかし心底自分の間違いに気づかなければ、同じ過ちを繰り返すことになってしまいます。ですからホメオパシー的な考え、生き方もしっかりと理解し、インナーチャイルドを癒していくことが必要となるのです。

人は何かを学ぶために生まれてきます。しかし、人は病気にならないと真剣に自分と向き合うことをしないものです。だから学ぶために病気になることもあるのです。しかしそれは、自然からのプレゼントだと思うのです。本当の幸せというものは、こだわりを捨てることのなかにあるのですが、こだわりを捨てるのは苦しみが伴うものです。こだわりを捨てるきっかけとなるのが病気であることが本当に多いのです。

ところで病気には、現代医療の治療自体によって引き起こされる医原病というものがありますが、これとて私たちの側に、そのそもそもの原因を求めることができるでしょう。安易に楽になりたい。苦しみはいやだ。病気は恐ろしい、病気は怖い。病原体は悪い、インフルエンザウイルスは怖い。子どものかかる病気は怖い。熱が出たら下げなくてはならない。このような考えである限り、私たちが安易に薬を求める心がある限り、苦しみを避け楽になることばかりを求め続けるかぎり、唯物的な考えばかりを信じ目に見えないものを信じない限り、薬はつくられ、症状は抑圧され、ワクチンはつくられ、打たれ、いずれは病気になってしまうと思うのです。

そういう心がある限り、新薬は開発され続け、使われ続け、症状は抑圧され続け、ワクチンは開発され続け、それを打ち続けなくてはならないのです。それを私たちは求めているからです。だから、それらをつくる製薬会社が出てくるのです。私たちがつくらせているのです。ですから、そのような心を私たちが抱えている限り、ワクチンは自分を映す鏡としてつくられなければならいのです。

人工物があふれる今の世の中は、人工的なものが体に入ったことの結果です。人工的な食べ物を食べたり環境汚染の結果だと思うのです。食べ物は単なる化学的な栄養補給ではありません。千島学説で言われているように、食べ物がそのまま赤血球となり細胞となるのです。食べているものがそのまま体を作っているのです。ですから食べ物が不自然になれば体も自然ではいられなくなり、体が不自然になれば心も自然ではいられなくなります。生命力のあるもの(新鮮な生のもの、醗酵食品など)を食べる必要があるのです。

人工的な化学物質の入った注射を打つこともそうです。病原体が鏡の役割を果たしているように、ワクチンや薬剤が鏡の役割を果たすのです。しかし病原体は自然治癒力を活性化し自然がなす同種療法でしたが(詳細は『それでもあなたは新型インフルエンザワクチンを打ちますか?』参照)、度重なる予防接種は自然治癒力を奪い、免疫を高めるどころか生体の抵抗力を低下させ、その結果、病気を引き起こしてしまいます。しかしインフルエンザなど自然がなす同種療法もときには命を奪うものであるように、予防接種も、病気になってその愚かさを知り、考え方を変える可能性を与えるものということでは同種療法なのです。

実際、私はワクチンや薬害で苦しむ多くの人々がそれを通してホメオパシーと出会い、生き方・考え方を変え、本来の自分を取り戻し幸せになっていった多くのケースを見てきました。とても不思議な思いにとらわれました。ワクチンは本当に悪いのだろうか薬剤は本当に悪いのだろうか、現代医学は本当に悪いのだろうか、製薬会社は本当に悪いのだろうか。そんなことを考えるようになったのです。

それは単に私たちの心の反映ではないのだろうか? そうであるならば、責められなければならなのは現代医学でも製薬会社でもなく、私たち一人ひとりの心の持ち方、あり方・考え方ではないだろうか? 現代医学が悪い、製薬会社が悪いと言って責めても根本的な解決にならないのではないか? それこそ対症療法ではないか? そのように考えるようになっていきました。

ホメオパシーバッシング

権益団体と手を組み、事実をねじ曲げ情報操作しようとする一部のマスコミは本当に悪いのだろうか? 自分の頭で考えることをやめ、マスコミの垂れ流す情報を疑うこともなくそのまま信じる自分、これまでずっとそうして信じてきた自分に責任はないのだろうか?

マスコミに踊らされる人がいたとしたら、それは安易にマスメディアによる情報を信じる自分に問題があるのではないだろうか? 人は権威やマスコミの言うことを安易に信じているけれど、それらは本当のことを言っているだろうか? 真実はどこにあるのだろうか?真実は何なのだろうか? 私たち一人ひとりがそれに気づいていくことが大事なことではないのでしょうか? そうすることで、権威やマスコミが言うことに惑わされることなく、真実を見極める目を自分の中にもつことができるようになっていくと思うのです。また、何が自然で何が不自然であるのか、それを見極める目を養うことができると思うのです。

今回の一連のマスコミによるホメオパシーバッシングで、彼らが真実など知りたくもないし報道するつもりもなく、いかに世論を操作するために偏った取材を行い、偏った情報を報道するかを身をもって体験することができました。詳細は、日本ホメオパシー医学協会のホームページに掲載されている『ホメオパシー新聞』をお読みください。もちろん、すべてのマスコミがそうだというわけではありません。しかし、ほとんどの報道機関はホメオパシーの科学的根拠やエビデンスは山ほどあるのにそれを調査することは一切なく、権威の言う非常に偏った意見だけを取り上げ、ホメオパシーは非科学的であるという前提で報道しています。

自分の目で見、自分の頭で考え、自分の感性で物事の価値を見極め、自分の良心にしたがって判断することを放棄し、真実や物事の価値基準を権威、マスコミや他人任せにしている反映として、現在の公正でないマスコミ報道があるのではないかということです。それは私たち自身が自分の良心を放棄した結果ではないかと思うのです。だから責められるべきはマスコミではなく、マスコミの言うこと、インターネットで流れる情報をそのままに信じる私たちの無責任さなのです。その私たちの無責任さの反映としてマスコミやインターネット問題があるということなのです。インターネットでの誹謗中傷はひどいものです。ホメオパシーだけでなくもろもろについての誹謗中傷です。無記名の投稿で傷つけられた人しか、その痛みを理解することはできないでしょう。しかし、その痛みの中で気づくことがあるのです。そして心底気づいた人は人を誹謗中傷することの愚かさを知り、何が人として大切なことであるかに気づくことができるでしょう。私も事実無根の誹謗中傷に傷つき苦しみました。悔し涙を流したことは一度や二度ではありません。しかし、その悔しさを自分を変化させる糧としてきました。そして今そういうことに動じない自分となることができました。そして無益な争いを放棄しました。だから私は彼らに感謝しているのです。

ときにマスコミのあまりのいい加減な報道に怒りを感じることもありますが、それを責めても何の解決にもならないことを知っています。その大元である私たち自身、国民が変わらなければ、何も変わらないのです。私たちが自分に何か不都合なことがあると誰かのせいにして批判している限り、何も変わらないのです。

変わらなければならないのは、何よりも自分です。マスコミを批判する前に、自分は事実を自ら正しく調査し、その結果を人に伝えているだろうか? それを自問自答することです。自分の思い込みを人に伝えていないだろか? 物事を正確に伝えただろうか? 自分の都合のよいように事実をねじ曲げて伝えていないだろうか? 誰か悪者に仕立て上げ批判したことはなかっただろうか? 誰かをいじめようとしなかっただろうか? 正直に誠実に愛をもって生きてきただろうか?

だから私はマスコミやインターネットがもっともっと暴走し、それによる被害者がどんどん広がることで多くの人が気づくなら、それもよいのではないかと思うのです。何が正しいことなのだろう、何が自然なことなのだろう、何が大切なことなのだろうという問題意識を常にもち、世間一般で言われていることに疑問をもつようになる人が増え、自分で真実を見つけようとする人が増えたなら、きっとやがて誰もがマスコミの言うことやインターネットで言われていることが必ずしも正しいことではないと知り、自分で考えるようになるだろうと思います。そして人の評判や評価を気にすることもなくなるでしょう。ゴシップ情報で利益がもたらされるような世の中である限り、事実を正確に伝えるよりも、おもしろおかしく取り上げることで利益がもたらされる世の中である限り、つまり私たちがそのようなものを求めている限り、何も変わらないということなのです。そうであるならば、多くの人が変わることができるように、多くの人がマスコミやインターネットの被害者となり、そのなかで大切なことに気づく人が増えるなら、それでもよいと思うのです。一人ひとりの意識のあり方、考え方が変化するにつれて、つまり求めるものが変化するにつれて、マスコミ報道のあり方も変化してくるでしょうし、インターネットのあり方も変化してくると思うのです。何かを力でねじ伏せようとしても何も変わりません。気づくことなく変えようとしても、何も変わらないのです。

悪者のなかにある愛

このような世の中になるためには、このような自分の中にある弱さが露呈する世の中が必要とされるのでしょう。だから悪者に見えるものが必ずしも悪者とは限らないのです。それは私たち自身が捨てた嘘を拾って集めて、見せてくれているだけかもしれないのです。同種の鏡となって事実を映し出すために……。
かつて私が『とらこ先生通信』(ホメオパシー出版)で悪魔やルシファー、死神、毒や病原体、ハエ、蚊、ヘビなどを徹底的に擁護したように、私たちがよくないと考える一部のマスコミも私たちの犠牲者かもしれないということです。予防接種やマスコミは今はもてはやされているかもしれませんが、やがて悪者となることは目に見えています。しかしそうなったとき、果たして私たちにはそれらを批判する資格があるだろうかということです。 そうして人類が上昇するために同種の鏡となってカルマをその身に引き受けることを選択した彼らに、どうやって恩返しできるのかということなのです。私たち一人ひとりが、一人でも多く変わっていくしかないと思うのです。自分の身に起こるすべての事象を自己の責任において受け止めるという心の態度を養うことによって、すべての事象をひたすら受け入れ、それに対して感謝することです。そしてネガティブなものを愛でもって反転させ、この憎悪の連鎖を断ち切ることを選択しようと決意することです。

私はこの一連のホメオパシーバッシングに対して自分でも驚くほど冷静でした。もし私が真剣に争うことを選択していたら、国がひっくり返るほどの大騒動になっていたかもしれません。なぜならホメオパシーの有効性やワクチンの有害性は疑うべくもないものであり、裁判になったら100%勝利する自信があるからです。しかし私は争うことを選択しませんでした。「人間万事塞翁が馬」であり、目先の小さな善に囚われ、大きな悪をなすこともあるものです。一連の報道でホメオパシーがネガティブなイメージで受け止められてしまいましたが、だからこそホメオパシーの真実を知ったとき、大きな転換が起こると信じています。そしてそれは私たちが自己主張してホメオパシーの正しさを説くのではなく、一人ひとりがそれぞれのタイミングでホメオパシーと巡り会い変化していくことが大切なことであると思ったからです。

最後に

思えば、私が著者である中村さんに本を書いてみないかと声をかけてから、原稿を書き上げ出版すると意を決するまでには、本書に書かれているように、いくつか乗り越えなければならない試練が待ち受けていましたが、それらを見事に乗り越え、今こうして本書を世に出せることを心からうれしく思います。また学長として教え子によくやったとほめてあげたいと思います。二児のアトピー性皮膚炎の治療を通じて苦しみ悩み、それを一つ一つ乗り越えてきた著者の経験と気づきは、病気の子どもを抱え悩んでいるお母さんたち、ホメオパシーと現代医学の間で葛藤を抱えているお母さんたち、子育てに悩んでいるお母さんたちに、多くの勇気と気づきを与えることでしょう。

最後に、本書が、一人でも多くの子どもたちと家族の皆さんが本来の命を取り戻し、真の健康と幸福を手にするうえでの一助となってくれることを願っています。